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誰かが思い付きで撮った料理写真がいつしか流行になる。その顕著な例がトンカツである。いつのころからだろう。SNSなどでトンカツの写真を見ると、決まって真ん中あたりのひと切れが、切り口を見せつけるように、寝かされている。どうにも不自然な眺めなのだが、これが食通の撮り方だとでも言わんばかりに、広くはびこってきた。当たり前のことだが、ふつうの料理人がこんな盛り付けをするはずがなく、客の側で写真を撮るときに、こんな仕掛けをするのだろう。

 こんな写真を撮る理由はただひとつ。火の入り加減をたしかめるためだ。ピンクっぽいレア加減を是とするグルメたちは、「火入れ」という言葉を好んで使い、それをビジュアルで見せるために、断面を写真に収めるのである。結果、素人の客までもがそれをまねて、「絶妙の火入れ」などというコメントを付けて、トンカツの切り口をあらわにした写真を公開するのだ。

 こうしたプロアマ入り乱れてのグルメごっこは、料理の作り手を嘆かせるに至った。「そりゃあいい気はしませんよ。きちんと盛り付けたのに、勝手にひっくり返して写真を撮られるんですから。滑稽を通り越して、醜悪だと思うんですけどね。じゃあすし屋でもやってみろ、って言いたくなりますよ。一貫だけ寝かしたり、すしネタ引っぺがして、シャリを見せて写真撮ったらどうだ、って。きっとすし屋のオヤジにどやされますよ」とある洋食屋の主人はそう嘆く。

 いっぽうで、進んでこの流れに乗っかろうとするトンカツ屋もある。 最初から盛り付けるときに、ひと切れだけ寝かして切り口を見せるのだ。客にこびる料理人もまた、外食をいびつなものにしている。

 そもそも「火入れ」などという言葉はプロの料理人が使うものであって、素人が口にするものではない。年間外食回数何百回だとか、もっぱら外で食べていて、自分で調理することなど滅多にない者が、「火入れ」の加減など理解できるわけがない。

 これも繰り返し書いていることだが、食べての感想ならともかく、料理の素人が調理のプロセスにまで言及して、食を語るから「食語」が危うくなるのである。どんなに外食経験が豊富であっても、さまざまな調理体験を重ねないと、調理の細かなテクニックなど分かろうはずがない。

 アスリートの世界を見れば自明のことであって、選手経験のない者が、野球の技術論を語るなど聞いたことがないし、他のどんな競技でもおなじだ。食べる側は、あくまで食べての感想に徹する。それが「食語」の要諦である。そうすれば、トンカツのひと切れを横にするなどという、馬鹿げた写真はなくなるに違いない。
柏井壽(かしわい・ひさし)
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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