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それゆえ、この北新地発の「玉鬘名物バターカレー」なるレトルトカレーを初めて食べたときは、大きな衝撃を受けた。レトルト食品特有の乾物臭さがまったくなく、実に香り高いのだ。

 何も言わずに出されたら、まさかレトルトだとは思わないだろう、深い味わいで、バターカレーと言いながら、ちっともバターの風味を感じることのできないレトルトカレーを数多く食べてきた経験からすると、やっと本物のバターカレーに出合えた、と感慨深いものがある。  SNSがきっかけとなって出合ったこのカレーは、北新地の小料理バーの名物料理らしく、その名が付いた「玉鬘」という店は一見さんおことわりで知られ、もちろんぼくは行ったこともないから、その店のたたずまいを想像しながら食べるのだ。

 老舗の洋食店やカレー専門店でなく、北新地の店が売り出したという点も興味深い。決して安くはないが、価格以上の価値は十分にある。スパイシーながら、辛すぎることもなく、ご飯によく合う「玉鬘名物バターカレー」と出合ってから、やたらレトルトカレーが気になり、あれこれと試してみるのだが、個性的な商品が数多く売り出されていることに、今さらながら驚いている。

 先刻承知の方も少なくないだろうが、無印良品の「素材を生かしたカレー バターチキン」も、レトルトとは思えない味わいだ。酸味がよく効いていて、辛さはほとんど感じないのに、ちゃんとカレーの味がするのもいい。高いからおいしい、というものでもなく、安くてもおいしいレトルトカレーがあることも知った。半ば妄信的に有名店のカレーを求めて、長い行列をいとわないカレーフリークは、こんなレトルトカレーをどう評価するのだろうか。

 たかがレトルト。されどレトルト。外食が制限されたからこそ、その価値に気付けたのだとすれば、疫病も悪いことばかりではないのかもしれない。レトルトカレーが好例だが、これまであまり目に留めてこなかった、身近な食を見直す、いい機会になったのは間違いない。

 いつも素通りしていたご近所の中華屋さんが、存外おいしいラーメンを出していることを知った。そんなSNSの投稿も目に付く。

 なにも名店を求めて遠くまで出かけなくてもいいのだ。多くの人がそう気付いた一方で、相も変わらず名店行脚を続けている人もいる。東京や大阪を始め、京都も長く緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が長期間に及び、ほとんどの飲食店には何かしらの制約が設けられた。それを避けてなのか、わざわざ地方に繰り出して、名店めぐりをする人たちには、コロナどこ吹く風なのだろうが、身近な美味に気付けないのは、気の毒なことのように思う。

 百回近くこの連載を続けてきて、何度も書いてきたが、身近に美味あり、に気付くには今が絶好の機会なのである。
柏井壽(かしわい・ひさし)
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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