
食語の心 第96回
作家 柏井壽
家ご飯の楽しみ
ワクチン接種が進むなか、少しずつ緩和されてはきたものの、コロナ禍の外食は、いわれなき制約を受けてきた。夜の営業は何時まで、だとか、飲酒は禁止せよ、だとか、人数は何人まで、などなど。コロナ禍以前のように、自由気ままに外食を楽しむことができなくなってしまった。短期間で制約が外れるものと思い込んでいたが、1年、2年と続くうち、あきらめにも似た空気が流れ始め、しかたなく家ご飯を充実させようと思った人は少なくない。
その傾向は大きく二つに分かれ、一つは前回書いた、かつお節のように、ていねいに一から手作りする料理で、もう一つは手軽な調理ながら、本格的な味わいの料理だ。そこで前回の続き。大阪は北新地発のレトルトカレーである。
袋のまま湯煎するだけで、ご飯さえあればすぐに食べられるレトルトカレーは、たしかぼくが高校生のころに売り出されたと記憶する。なんと便利なものができたのか、と一世を風靡し、爾来今日に至るまで、人気を保ち続け、なおかつ絶えず進化してきているようだ。
格安商品から、有名店監修の高級品まで、多くのレトルトカレーを食べてきて、格別まずいものもなかったが、飛び切りおいしいと思えるものもなかった。どれもが、そこそこのおいしさで、おいしい、と思ったとしても、レトルトカレーとしては、という注釈が必ず付いてまわってきたのだ。
その傾向は大きく二つに分かれ、一つは前回書いた、かつお節のように、ていねいに一から手作りする料理で、もう一つは手軽な調理ながら、本格的な味わいの料理だ。そこで前回の続き。大阪は北新地発のレトルトカレーである。
袋のまま湯煎するだけで、ご飯さえあればすぐに食べられるレトルトカレーは、たしかぼくが高校生のころに売り出されたと記憶する。なんと便利なものができたのか、と一世を風靡し、爾来今日に至るまで、人気を保ち続け、なおかつ絶えず進化してきているようだ。
格安商品から、有名店監修の高級品まで、多くのレトルトカレーを食べてきて、格別まずいものもなかったが、飛び切りおいしいと思えるものもなかった。どれもが、そこそこのおいしさで、おいしい、と思ったとしても、レトルトカレーとしては、という注釈が必ず付いてまわってきたのだ。
