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興味深いのはその評価基準で、お造りの切り身が大きくて分厚いほど、枚数が多いほど高評価につながり、いいね! やコメントが多くなることだ。これが先に書いた、港町の魚市場のことなら分かるのだが、京都の店の話なのだ。海から遠く離れた京の街では、新鮮な魚の入手が難しく、それゆえ料理人が技を加えることで美味を生みだし、京料理が発達したというのは知られた話である。

 ただ切った刺し身をご飯に載せただけのものは、料理の範疇に入らない。心ある京都の和食の料理人なら、誰もがそう思っているはずなのだが、なんとも不思議な現象だ。

 その謎を解くカギの一つが、コスパという言葉である。コストパフォーマンスの略で、以前はプロの間でしか使われなかった言葉だが、最近は自称グルメの人たちが盛んに使うようになり、味や技よりも、料理を評価するときの最優先基準となっているようだ。

 たとえば、どんなに細かな技を使っても、あるいは上質な出汁を引いても、素人目にその価値は分かりづらい。秀でた店に足を運び、相当な場数を踏まないと分からないのに比べ、造りの数や厚さなどは、素人目にもすぐ分かる。さらにはSNS上に投稿された写真を見るだけでも一目瞭然だ。

 お造りは高価なものだという先入観がある上、スーパーマーケットでも目にしているから、原価が分かりやすい。この価格なら十分もとが取れるということで、コスパがいい、と書くのである。

 悲しいかな、その質の良しあしまでは見抜けない。たとえ輸入物の解凍魚であっても、量が多ければコスパよし! になる。

 一方で店側からしても海鮮丼を始めとして、お造り系はメリットが大きい。大した手間も掛からず、かつ冷凍保存できるから、ロスも少なくて済む。となれば少々原価率を上げてボリュームを増やしても、利益は上がる。加えてSNSで紹介され、客を増やすことにつながるのだから、これを売り物にすることを躊た め躇らう理由など見つからない。

 以前から再三このコラムでも書いてきたが、「映え」という言葉が、食の世界を大きく変えてしまった。食のプロならいざ知らず、市井の人々には、写真だけで食材の質まで見抜くのは困難だ。ボリュームさえ増やせば、それだけでコスパがいいと判断されるのだから話は簡単だ。結果、料理人側は技を駆使する必要もなくなり、客の側も細やかな味を気に掛けることもなく、「映え」さえよければそれでよし、となる。

 京の海鮮ブームは食の未熟化を予感させ、その一因はコロナ禍にあるとぼくは思っている。

柏井壽(かしわい・ひさし)
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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