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食語の心 第77 回
作家 柏井壽
グルメブーム
食についての文章を書くスタンスとして、常々僕は異色の存在だと思っている。
 グルメ評論家や、フードライターと呼ばれる人たちは、ほぼすべての方々が、グルメブームを大歓迎しているのに対して、僕は常に疑問を呈してきているからだ。
 多くは、まず最初に美食ありきだから、どんな食であっても、それを否定することなく、必ず肯定するのが決まりごとのようになっている。
 行列のできる店も、予約困難な店も、超が付くような高額店であっても、それにNO!を唱えることなど論外とばかり、手放しで称賛する。
 再三書いてきたように、これはとても不思議なことで、〈食〉以外の世界では考えられない話だ。
 どんな作品でも必ず絶賛する書評家など存在しないし、映画評論家、美術評論家、歌舞伎評論家など、評論家を名乗る人たちのなかで、すべてを絶賛する人など聞いたことがない。
 そもそも評論とは、自分の尺度で対象となる作品を見極め、その良しあしを判断することを言うのであって、その基準に基づいて、一般人はその作品に対価を払うべきかどうかを判断するのである。
 当然のことながら、称賛することもあれば、酷評することもある。なればこそ、その評論家の言を信頼するので、自分の好みにあう評論家を見つける指標ともなるのだ。
 そこで〈食〉の世界である。 長くこの世界に身を置いているプロから、なだれ打ってグルメブームに乗りこんできたセミプロまで、おしなべて、ネガティブな批評をすることは無いに等しい。
 熟成肉だとか、タピオカだとか、高額食パンがブームになれば、得々として解説することはあっても、そのブームに疑問を投げかけることはない。
『憂食論』『グルメぎらい』というそのタイトルからして挑戦的な書を著している僕は、店のあり方、客側の姿勢を憂慮し続けている。
 前者は2014年7月、後者は2018年4月に刊行したのだが、一部で話題になったくらいで、一石を投じるというほどの手応えはなかったというのが正直な感想である。
 だが、時代はあとからついてくる。令和の時代になって、ようやく僕の持論に賛同する向きが現れはじめたのだ。
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