
食語の心 第73 回
作家 柏井壽

肉ブーム
一日の仕事を終えて、さて今夜は何を食べようかと、思いを巡らすに、まず頭に浮かぶのは、肉か魚か、である。
近年の女性たちには、ここに野菜が加わり、肉か魚か野菜か、となるようだが、古希に近いオトコにとって、野菜はあくまで添え物であって、主役にはなり得ない。
もちろん肉も魚も、和洋中、あらゆる料理に仕立てあげられるのだが、イメージとして言えば、魚は和で、肉は洋である。魚はあっさりで、肉はしつこい、となり、元気を求めるなら肉、落ち着きを求めるなら魚、となる。
身体が欲する、とでも言うのだろうか、肉を食べたい、という欲求は、魚に比べてはるかに強い。同じタンパク質なのに、なぜそれほど違うのだろうか。
僕は学者ではないので、詳しいことは分からないが、栄養学的には、どうやら魚に軍配が上がるようで、魚をもっと食べなさいという栄養学者はたくさんいても、肉を食べよという学者は少数派である。
更には、肉類は極力食べないほうがいいという論調も少なくない。
加えて、むかしの日本がそうだったように、肉食を禁じる戒律を定めている国もあり、どうも肉食の旗色は悪い。
魚=健康、肉=不健康というイメージが定着していると思っていたところへ、にわかに肉食ブームが到来したのも不思議と言えば不思議な話だ。
最近、京都の我が家の近くにもオープンしたのだが、リーズナブルにステーキを食べさせる店の人気は絶大なものがある。オープンしてから連日行列が途切れることのない、件(くだん)のステーキ店の前を通ると、なんとも言えず香ばしい匂いが漂ってきて、おなかが鳴ってしまう。
これは魚にはないことだ。魚を焼く匂いで、強烈に惹(ひ) きつけられるのは鰻の蒲焼(かばやき)ぐらいのもので、たいていの魚を焼く匂いは、悪臭として忌み嫌われることも多い。
住宅事情が良好とは言えない日本で、魚が敬遠されるようになったのは、焼き魚の匂いが大きな理由となっているはずだ。
加えて小骨を有する魚は、食べるのが面倒という理由も加わって、敬して遠ざける存在になってしまった。
というわけで、日本ではここしばらくのあいだ、魚や野菜を食べなければ、と思いつつ、いくらかの罪悪感も持ちつつ、肉を食べてきた、というのがおおかたのところだ。
近年の女性たちには、ここに野菜が加わり、肉か魚か野菜か、となるようだが、古希に近いオトコにとって、野菜はあくまで添え物であって、主役にはなり得ない。
もちろん肉も魚も、和洋中、あらゆる料理に仕立てあげられるのだが、イメージとして言えば、魚は和で、肉は洋である。魚はあっさりで、肉はしつこい、となり、元気を求めるなら肉、落ち着きを求めるなら魚、となる。
身体が欲する、とでも言うのだろうか、肉を食べたい、という欲求は、魚に比べてはるかに強い。同じタンパク質なのに、なぜそれほど違うのだろうか。
僕は学者ではないので、詳しいことは分からないが、栄養学的には、どうやら魚に軍配が上がるようで、魚をもっと食べなさいという栄養学者はたくさんいても、肉を食べよという学者は少数派である。
更には、肉類は極力食べないほうがいいという論調も少なくない。
加えて、むかしの日本がそうだったように、肉食を禁じる戒律を定めている国もあり、どうも肉食の旗色は悪い。
魚=健康、肉=不健康というイメージが定着していると思っていたところへ、にわかに肉食ブームが到来したのも不思議と言えば不思議な話だ。
最近、京都の我が家の近くにもオープンしたのだが、リーズナブルにステーキを食べさせる店の人気は絶大なものがある。オープンしてから連日行列が途切れることのない、件(くだん)のステーキ店の前を通ると、なんとも言えず香ばしい匂いが漂ってきて、おなかが鳴ってしまう。
これは魚にはないことだ。魚を焼く匂いで、強烈に惹(ひ) きつけられるのは鰻の蒲焼(かばやき)ぐらいのもので、たいていの魚を焼く匂いは、悪臭として忌み嫌われることも多い。
住宅事情が良好とは言えない日本で、魚が敬遠されるようになったのは、焼き魚の匂いが大きな理由となっているはずだ。
加えて小骨を有する魚は、食べるのが面倒という理由も加わって、敬して遠ざける存在になってしまった。
というわけで、日本ではここしばらくのあいだ、魚や野菜を食べなければ、と思いつつ、いくらかの罪悪感も持ちつつ、肉を食べてきた、というのがおおかたのところだ。