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これはとても大切なことである。どんなに美食を求めているとしても、旅先の温泉宿では、ある程度の緩さがないとリラックスできず、それでは本末転倒となる。
 それでなくても近ごろのモダンフレンチは、料理人の自意識が前のめりになり過ぎていて、食べ進むうちに疲れることが少なくない。アーティストを自任する料理人もいるようだが、原点は食の職人であることを忘れてはならない。
 その点でこのレストランのシェフは、きちんとツボを押さえていて、驚かせる部分と、落ち着かせる部分を案配よく配し、緊張と緩和が交互に訪れる時間を編み出している。
 こればかりは体験してみないと分からない。ぜひ一度この宿に泊まって、「レヴォ」のディナーを味わってほしい。都会の真ん中で客からチヤホヤされ、ひとりよがりなモダンキュイジーヌを作っているシェフとの違いを実感できることだろう。
 私事で恐縮だが、今年の春に『グルメぎらい』という新書を上梓(じょうし)した。そこで書いたのは、近年の行き過ぎた美食ブームによって、食のあるべき姿がゆがんでしまったことへの苦言で、その一因となっているのが、料理人と客のいびつな関係であると主張した。
 過激すぎて炎上するかと思いきや、若いシェフの方々から賛同のメッセージをいただき、少しばかり拍子抜けしてしまった。
 それはさておき、対等の立場でなければならないはずの、料理人と客の立場が危うくなっていることは間違いない。
 客が必要以上にへりくだり、料理人が必要以上に尊大になってしまうケースが少なくないのだ。
 メディアによって作り出された虚像のせいでもあるのだが、過度の料理人崇拝が食の世界をアンバランスなものにしてしまっている。
 都会のみならず、地方でもその傾向は強まっているが、宿に関しては、そんな空気は全く感じられない。ホテルであれ、日本旅館であっても、あるいはオーベルジュでも、権威主義的な料理人もいなければ、料理人に媚(こび)を売るような客もいない。
 しごく健全な関係を築けているのは、宿という装置がフィルターの役割を果たしているからだろうと思う。
 旅人をあたたかく迎え入れ、一夜を快適に過ごしてもらおうとする宿には、尊大な料理人の居場所がない。それゆえこの「レヴォ」のように、客と料理人がフラットな関係でいられるのである。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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