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食語の心 第63回
作家 柏井壽
温泉フレンチ
京割烹(かっぽう)もはだしで逃げ出すほど完成度の高い「あさば」の夕餉(ゆうげ) 。この料理を食べて、そのまま布団に入れる。
それはまさしく夢心地である。
 京都にせよ、東京にせよ、今どきの割烹となれば、それなりの緊張感も強いられ、かつ見も知らぬ他人と席を同じくせねばならない。
 一座建立と言えば聞こえはいいが、しょせんは店の都合に客が合わせる結果に過ぎない。
 それと比べるのも失礼かもしれないが、「あさば」の客室で浴衣姿のまま食べる夕餉の心地よさは比類なきもの。
 たまさか宿泊した日は、日が暮れると能舞台が浮かぶ庭の池で、新内流しが行われた。それを客室の窓越しに眺めるのである。優雅、幽玄、どんな美辞麗句も陳腐に思えてしまう、素晴らしい一夜となった。
 そして前回記したように、そのあとは極上の夕餉を満喫したのである。
 近年の日本旅館における夕食は格段に進歩した。とは言ってもそれは、まだまだ一部の志ある宿に限ったことであって、多くの日本旅館ではいまだに、豪華という言葉を前面に打ち出すような、勘違い料理を供するところがほとんどと言っていい。
 海辺の宿なら伊勢海老(えび)や鮑(あわび)、山あいの宿ならブランド牛。それらの主役ばかりが目立っていて、名脇役と呼べるような料理はめったに見かけない。
 宿の夕餉というものはコース仕立てになっているのだが、緩急をつけることが大事になってくる。茶懐石の流れを真似(まね)よとまでは言わないが、せめて八寸代わりになる前菜くらいは、細やかな気配りを感じられるものであって欲しい。
 それがどうだろう。多くの宿では席に着いたとき、すでに何品かの料理が並べられていて、いちおう季節らしきものは感じられるが、たいていは既製品を切って並べただけの盛り合わせである。
 珍味のたぐいも、業務用の量産品を袋から出して小鉢に盛っただけという手抜きである。旅慣れていない客なら、それでもごまかせるかもしれないが、美食を求めてやってきた旅人には、落胆しか与えない。
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