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そしてこれらを組み合わせることで、インスタ映えする旅館となり、メディアがこぞって採り上げ、すぐさま繁盛旅館となる。近年大人気のリゾートチェーンがその典型である。
 そこまではさほど難しくない。難しいのは料理なのだ。今どきのグルメもどきなら簡単に幻惑できても、真の食通を納得させる料理を旅館で出すことは実に難しい。
 伊豆修善寺。長い歴史を誇りながら、常に進化し続ける宿「あさば」は、その数少ない宿の代表として、美食家の舌を喜ばせ続けている。
 昨今、客室ではなく食事処(どころ)を設け、そこで食事を提供する宿が増えている。その一つの理由に挙げられるのが、料理を作る料理人と、それを客に出す仲居との連携の難しさだ。
 出来上がった料理を、いかにしてスピーディーに供し、かつ、ただの料理説明に終わらず、料理人の思いまでをも、客に正確に伝えられるか。それには相応の熟達度も必要だが、それを指揮する主人や女将(おかみ)が料理に通じていなければならない。
 ともすればベテランの料理長の意のままになってしまうのは、主人や女将の料理の知識や経験が乏しいからである。
 そこへいくと、この「あさば」。主人の思いが料理人に伝わり、それが仲居にも伝わるという理想の形を生み出している。当然のことながら、それは食べる客にも伝わり、京都の老舗料亭をも凌駕(りょうが)する料理に舌鼓を打つ僥倖(ぎょうこう)に巡り合えるのだ。
 アンリ・ジローのシャンパーニュから始まる春の夕餉は、ただ旬の食材を使うだけでなく、洗練の技を加えることで、宿の部屋に春風を吹かせてしまう。
 食事処ではなく、客室で食べるからこその安らぎというものがある。わざわざ運んできてもらうというありがたみがそれに加わる。それもベストコンディションで。
 春を代表する食材であるタケノコは、素揚げして海苔(のり)をまぶされて出てきた。食べ終えると吹墨(ふきずみ)の皿に今年の干支(えと)の犬が愛らしい表情で描かれている。こんな遊び心のある絵付けができるのはあの作家しかいない。そう思って仲居さんに尋ねると、やはり加藤静允(きよのぶ)さんの器だった。
 たった一皿の料理、それも先付(さきづけ)一つでこの宿の料理がいかに上質かが分かってしまう。
 料亭というより割烹(かっぽう)に近い料理スタイルがうれしい。余計な飾りつけを排し、吟味し尽くしただろう器に、品よく料理を盛り付ける。その肝心の料理も、極めてシンプルな調理法ながら、味わいはすこぶる深い。
 時間をかけて、ゆっくりとお酒を楽しみながら、じっくりと料理を味わう。至福とはこういうときのためにある言葉。
 特段、希少な食材を使うわけではない。奇をてらうことなく、食材の持ち味を徹底的に生かし切り、穏やかで深い味わいを生み出す。修善寺「あさば」の優れた料理はまだまだ続く。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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