

食語の心 第50回
作家 柏井壽
京都 食の値段
14年も前に出版した『京都の値段』という本を紐解(ひもと)きながら、今の値段と比較してみると、興味深い事実が判明した。
前回は主に、14年前とほぼ変わらぬ価格を維持している店のことを書いた。中で、最も驚いたのは「辻留」だった。独特の形状をした折箱も、中に詰められた料理も、そして値段も、14年の時を経て、まったく変わることがない。これこそが京都の底力であり、良心だろうと思う。
京都の料理界。とりわけ和食というジャンルは、14年前と大きく様変わりした。
まずは店の数である。
14年前には、観光客でも入れる割烹(かっぽう)店など、数えるほどしかなかった。もちろん板前割烹と呼ばれる店は、当時も数多く存在したが、それらのほとんどは京都人御用達であり、それも常連客に向けての店が大勢を占めていた。
銀座の鮨(すし)屋と同じく、一見客が暖簾(のれん)をくぐるには、ある種の勇気が必要で、多くは紹介者を頼って、あるいは伴ってもらって店を訪れる。それが京都の板前割烹だった。
それが今はどうだろう。雨後のタケノコと言っては失礼かもしれないが、祇園町を歩けば、そこかしこに割烹の暖簾が上がっている。祇園だけではない。洛中(らくちゅう)のいたるところに、瀟洒(しょうしゃ)な割烹が点在し、その数たるや、14年前の何倍、いや何十倍にも及ぶだろう。
そして特筆すべきは、それらの割烹店がどこも繁盛していて、常に予約で満席だということ。3カ月先、半年先まで予約で満杯という割烹店は、いくらもある。
通常こうして店の数が増えれば、客の奪い合いになるものだが、まったくその逆の状態になっているのが不思議だ。
さて話の本題に入る。京都の割烹の値段はどう変遷したか。
当時はさほどでもなかったが、某料理雑誌で1年半にわたって、密着取材し、巻頭グラビアで連載したときから火が点つ き、今や京都でも一二を争う人気割烹「草喰なかひがし」の場合。
14年前のお昼は4000円だった。そして今は6000円。
前回は主に、14年前とほぼ変わらぬ価格を維持している店のことを書いた。中で、最も驚いたのは「辻留」だった。独特の形状をした折箱も、中に詰められた料理も、そして値段も、14年の時を経て、まったく変わることがない。これこそが京都の底力であり、良心だろうと思う。
京都の料理界。とりわけ和食というジャンルは、14年前と大きく様変わりした。
まずは店の数である。
14年前には、観光客でも入れる割烹(かっぽう)店など、数えるほどしかなかった。もちろん板前割烹と呼ばれる店は、当時も数多く存在したが、それらのほとんどは京都人御用達であり、それも常連客に向けての店が大勢を占めていた。
銀座の鮨(すし)屋と同じく、一見客が暖簾(のれん)をくぐるには、ある種の勇気が必要で、多くは紹介者を頼って、あるいは伴ってもらって店を訪れる。それが京都の板前割烹だった。
それが今はどうだろう。雨後のタケノコと言っては失礼かもしれないが、祇園町を歩けば、そこかしこに割烹の暖簾が上がっている。祇園だけではない。洛中(らくちゅう)のいたるところに、瀟洒(しょうしゃ)な割烹が点在し、その数たるや、14年前の何倍、いや何十倍にも及ぶだろう。
そして特筆すべきは、それらの割烹店がどこも繁盛していて、常に予約で満席だということ。3カ月先、半年先まで予約で満杯という割烹店は、いくらもある。
通常こうして店の数が増えれば、客の奪い合いになるものだが、まったくその逆の状態になっているのが不思議だ。
さて話の本題に入る。京都の割烹の値段はどう変遷したか。
当時はさほどでもなかったが、某料理雑誌で1年半にわたって、密着取材し、巻頭グラビアで連載したときから火が点つ き、今や京都でも一二を争う人気割烹「草喰なかひがし」の場合。
14年前のお昼は4000円だった。そして今は6000円。