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本来、節分には鬼の難から逃れるために、豆まきをして鬼を追い払い、二度と家に入れないようにと、「柊鰯(ひいらぎいわし)」を玄関に飾るという風習がある。その柊鰯を作るために、節分の日は鰯の丸焼きを食べるのだ。これが正しい節分の行事食なのだが、メディアはそんなことにはほとんど触れず、恵方巻きばかりを伝える。
 こうして、本来の正しい行事食は忘れ去られ、にわかイベントばかりが盛んになってゆく。和食がユネスコ無形文化遺産だとかいっても、所詮(しょせん)はこの程度のもので、商業主義優先の今の日本では、派手で、簡単で、インパクトのあるビジュアルのものばかりがもてはやされるのだ。
 柊鰯などという地味で、面倒くさいものは、大した利益を生まないが、大量生産される恵方巻きは、企業の大小を問わず、大きな利益をもたらす。十数年も前、売り出された当初は傍観していた鮨屋が、競ってこれを商うようになったのは、まさしくそこである。
 それが正しい日本文化であろうがなかろうが、便乗してもうかるなら何でも売る。悲しいかな日本は今、そんな営利優先主義とでも呼びたくなるような風潮が蔓延(まんえん)している。
 節分は元々、季節が始まる前日を言い、春夏秋冬の4度、節分はやってくるのだが、いつの間にか立春の前日だけを指すようになった。
 季節の変わり目、すなわち節分には邪鬼が生じると伝わってきた。それはおそらく、体調を崩しがちな、季節の変わり目に注意を促す、暮らしの知恵だったと思われる。
 冬から春へ。最も体調を整えにくい節分に、良質のたんぱく質を摂取するために、年の数だけの豆を食べ、ビタミン豊富な鰯を丸ごと食べる。それが豆まきや、柊鰯という風習につながった。
 その時々に食べておきたいものを、風習、習俗と重ね合わせることで生まれた、日本の行事食。それを守り伝えていくことこそが、和食をユネスコ無形文化遺産とした、本来の目的である。にもかかわらず、その牽引(けんいん)役を果たした、京料理屋の主人たちが、喜々として節分の恵方巻きを広めていく姿は醜悪でしかない。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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