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 龍馬が洋食を好んで食べていたことは、間違いがなく、史料にも残されている。その洋食好きの龍馬は、翌1866年に京都を訪れ、居を移し、さまざまな事件に遭遇することとなる。
 残念なことに、史料として残されていないので断定はできないが、龍馬に請われた草野は、再三京都を訪れ、志士たちに洋食を作って、食べさせていたという。おそらくは、その縁が元となったのだろう。明治10年、すなわち1877年に、京都祇園に「自由亭」と名付けた洋食屋を開いた。
 祇園祭で知られる「八坂神社」の楼門前に開いた店は、たちまち評判を呼び、外国人はもちろん、京都の旦那衆も足しげく通ったと伝わっている。
 これがきっかけとなって、京都市内のあちこちに洋食屋が店を開くこととなる。
 草野の「自由亭」は、西洋料理の基本を忠実に守り、オーソドックスな料理を供していたが、それを真似(まね)た洋食屋は、和風にアレンジし、箸で食べられるように、改良を重ねていった。
 たとえばビーフステーキは、ビフテキと呼ばれ、それをそのまま屋号にした「ビフテキのスエヒロ」という洋食屋が四条河原町近くにあった。あったと過去形で書いたのは、昭和の終わりごろに閉店してしまったからで、今は少し業態が変わり、石焼き専門店として、京都駅近くのビルにテナントで入っている。
 その流れを汲く む「ビフテキ スケロク」は、「金閣寺」にほど近い住宅街で、瀟洒(しょうしゃ)な一軒家レストランとして、人気を集めている。地元京都人からの支持も厚く、ビフテキだけではなく、ハンバーグやえびフライ、ハヤシライスといった、洋食屋の定番料理もメニューに並び、京都らしい風情もあって、安心しておすすめできる。
 一時期、フレンチやイタリアンに押されて衰退したこともあったが、それも乗り越え、代替わりを重ねながら、今も健在なのが「洋食の店みしな」を始めとする、花街によって育てられた洋食屋。
 花街に通い詰める旦那衆が、舞子芸妓を引き連れて、洋食屋で舌鼓を打つ姿は、京都ならではの光景。
 先の「ビフテキ スケロク」は上七軒、松原橋畔に店を構える「グリル富久屋(ふくや)」は宮川町。鴨川に面して立ち、夏には川床で洋食を味わえる「開陽亭」は先斗町(ぽんとちょう)、といった具合。
 それらの多くは明治大正の創業で、きわめて基本に忠実な、伝統的洋食を守り続けている。しかしながらその一方で、京の産業を支える職人たちもまた、ボリュームがあって、手軽に食べられる洋食を好んで食べるようになり、庶民的なスタイルの洋食屋が市内の随所に店を開くことになる。
 そんな京都の洋食屋の第二ステージについては次回にまた。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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