
神田裕行 真味只是淡
第二十七回
第二十七回
Photo Masahiro Goda

伊勢海老の空揚げ 柚子塩
日本料理は日本にしか咲かない花である
高校を卒業してすぐに大阪ミナミの繁華街で日本料理の修業を始め、何を勘違いしたのか23歳の若さで、花の都パリで日本料理のお店の調理長となり、その後5年間パリで日本料理を作り続けた。
3年後には、「ゴー・ミヨ」というフランスで「ミシュラン」と並ぶと言われるレストラン格付け雑誌で、「パリ一の和食店」という評価もいただいたが、実情は少ない経験と稚拙な技術しか持ち合わせがなく、日本料理と呼べるものが作れていたかはあまり自信がない。
魚、野菜、肉、何もかもが日本のものとは違い、何を作っても日本と同じ味がしなかった。
気候と風土が作物を育て、その作物に合わせて料理が出来ている、日本の食材には日本料理が合い、フランスの食材にはフランス料理が適しているのだという、当たり前の結論になす術(すべ)がなかった。
何よりも頭を抱えたのは水の違いだ。日本から取り寄せたカツオ節と昆布を使っても味が出ない。当時の日本の厨房(ちゅうぼう)では、当たり前のように水道水を使って出汁を取っていたのだが、パリの水道水は沸かせばカルキで白く濁り、出汁を煮出すどころではなかった。
3年後には、「ゴー・ミヨ」というフランスで「ミシュラン」と並ぶと言われるレストラン格付け雑誌で、「パリ一の和食店」という評価もいただいたが、実情は少ない経験と稚拙な技術しか持ち合わせがなく、日本料理と呼べるものが作れていたかはあまり自信がない。
魚、野菜、肉、何もかもが日本のものとは違い、何を作っても日本と同じ味がしなかった。
気候と風土が作物を育て、その作物に合わせて料理が出来ている、日本の食材には日本料理が合い、フランスの食材にはフランス料理が適しているのだという、当たり前の結論になす術(すべ)がなかった。
何よりも頭を抱えたのは水の違いだ。日本から取り寄せたカツオ節と昆布を使っても味が出ない。当時の日本の厨房(ちゅうぼう)では、当たり前のように水道水を使って出汁を取っていたのだが、パリの水道水は沸かせばカルキで白く濁り、出汁を煮出すどころではなかった。