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食語の心 第40回
作家 柏井壽
普通においしい
いつのころからか、特別のおいしさを求めることが多くなってきた。
 いわく、ここでしか食べられない味、今しか味わえない料理。日本一おいしい、世界一の料理。
 スペシャルこそが、美味の真髄とでも言わんばかりに、特別感を競う。
 とあるフレンチ。誰それさんが作った野菜と、ナニガシさんが一本釣りした魚を、シェフが編み出したスペシャルソースで食べる料理というのがメニューにあった。
 そう聞けば食べずにいられないのが、今の客というもので、同行者は迷わずそれを選んだ。
 僕はメニュー名が長い料理は苦手なので、子羊の網焼きとだけ記されたメニューをオーダーした。
 待つことしばし。同行者の前に置かれた料理。僕には、ただのアジフライにしか見えなかった。
 ナントカチーズを粉末にして、それをパン粉に混ぜ、アジにまぶして揚げ焼きにしました。カントカさんの畑の朝採れの水茄子を添えてあります。
 おおまかには、そういう説明だったようにと思う。だが話はそれで終わらない。そのアジを釣り上げるのには、どれほどの困難があり、水茄子もしかり、それを収穫するまでには、言葉に尽くせぬほどの労苦があって、シェフがこのソースを編み出すまでに十年掛かったと言われて、客はそれにひれ伏すしかなかったのである。
 それほどのこだわりを持って作られた料理だから、もちろんまずいわけがない。ひと口ばかり味見をしたが、それはそれはおいしい料理だったことに間違いはない。それを横目に食べた子羊の網焼きも、無論のことおいしかった。
 それから半月ほど経ったある日の昼下がり。なじみの食堂に立ち寄った。ミンチカツ狙いだったのだが、「アジフライあります」との貼り紙を目にして、そちらに変更。
 さほどの待ち時間もなく、目の前に現れたのは、昔ながらのアジフライ。千切りキャベツを枕にして、開いたアジのフライが三切れ。タルタルが添えられるわけもなく、テーブルのウスターソースを掛けて食べよとの主人のお達しにしたがい、たっぷりと掛ける。
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