

食語の心 第39回
作家 柏井壽
いっときのブームで終わるかと思った野菜料理だが、どうやらしっかりと根付いてきたようだ。
和洋の別を問わず、今や日本中の料理店に野菜料理があふれている。
多くの年輩男性にとっては、無理をしてでも身体のために食べねばならない、のが野菜料理であり、けっして好んで食べるようなものではなかった。
好物を訊ねて、肉でも魚でもなく、野菜だと答えるような中年男性は、僕を含めて、稀だったと思う。
過去形としたのは、最近では野菜好きという男性が少なくなく、それは無理をしているふうには見えず、嬉々として野菜料理に舌鼓を打っているのだ。
かく言う僕も、最近では、まず野菜料理から始めて、というスタイルができ上がってきた。
外食をするとき、基本的に僕は、おまかせコースを避け、好きなものを好きなふうに食べられる、アラカルト料理を選んでいる。
和食なら魚、洋風料理なら肉。最初から最後まで、そんなふうだったのだが、今では、世に言う〈ベジ・ファースト〉を心がけていて、飲み物をオーダーすると同時に、スターターの野菜料理を注文している。
たとえば夏。和食の店なら、まずは枝豆。この季節ならでは。次は小芋の煮ものなんかがあればそれを。かつては関西限定だったと思う、水茄子などは、最近では東京でも普通に出てくる。
野菜ブームの火付け役となった京野菜も、日本中に出回るようになってきた。
万願寺唐辛子を焼いたもの、賀茂茄子の田楽なども、特別な店でなくても、たいていメニューに上っている。野菜料理でありながら、京のおばんざい、という側面もあり、このあたりも、野菜をいっときのブームで終わらせず、定着させた因となっているように思える。
同じ夏でも洋風料理の店だと、僕はまずピクルスから始める。甘酢に漬け込んだ野菜は、食べて美味しく、見た目に美しい。爽やかな酸味が食欲を増進させる。
和洋の別を問わず、今や日本中の料理店に野菜料理があふれている。
多くの年輩男性にとっては、無理をしてでも身体のために食べねばならない、のが野菜料理であり、けっして好んで食べるようなものではなかった。
好物を訊ねて、肉でも魚でもなく、野菜だと答えるような中年男性は、僕を含めて、稀だったと思う。
過去形としたのは、最近では野菜好きという男性が少なくなく、それは無理をしているふうには見えず、嬉々として野菜料理に舌鼓を打っているのだ。
かく言う僕も、最近では、まず野菜料理から始めて、というスタイルができ上がってきた。
外食をするとき、基本的に僕は、おまかせコースを避け、好きなものを好きなふうに食べられる、アラカルト料理を選んでいる。
和食なら魚、洋風料理なら肉。最初から最後まで、そんなふうだったのだが、今では、世に言う〈ベジ・ファースト〉を心がけていて、飲み物をオーダーすると同時に、スターターの野菜料理を注文している。
たとえば夏。和食の店なら、まずは枝豆。この季節ならでは。次は小芋の煮ものなんかがあればそれを。かつては関西限定だったと思う、水茄子などは、最近では東京でも普通に出てくる。
野菜ブームの火付け役となった京野菜も、日本中に出回るようになってきた。
万願寺唐辛子を焼いたもの、賀茂茄子の田楽なども、特別な店でなくても、たいていメニューに上っている。野菜料理でありながら、京のおばんざい、という側面もあり、このあたりも、野菜をいっときのブームで終わらせず、定着させた因となっているように思える。
同じ夏でも洋風料理の店だと、僕はまずピクルスから始める。甘酢に漬け込んだ野菜は、食べて美味しく、見た目に美しい。爽やかな酸味が食欲を増進させる。