

食語の心 第36回
作家 柏井壽
ありがたいことに、日本には四季というものがあり、季節の移ろいとともに、美味しいものが入れ替わる。
四季を際立たせる国に生まれてよかった。季節が変わるごとに、つくづくそう思う。
それはしかし、ただ食という面だけでなく、季節が変わることで、暮らしにも変化が生まれ、文章でいうなら句読点のようなもので、日々の生活にメリハリが出る。
衣替えという習慣などは、その最たるもので、日本ならではのことだろうと思う。寒暖の差が激しい京都では、衣服のみならず、部屋の設(しつら)えまで季節に応じて替えてしまう。
その習慣は、京都の町家に陰影をもたらすことにも、ひと役買い、街の景観までをも変えてしまう。
夏が近づくと、部屋を仕切っていた襖(ふすま)が御簾戸(みすど)に代わり、畳の上には網代(あじろ)が敷かれ、窓の外にはすだれが掛かる。これによって町家の眺めは一変し、京の暑さを目からやわらげてくれる。
季節が移ろうことで、街の眺めが変わることなど、日本以外にはないだろうと思う。
ここで興味深いのは、季節と食がシンクロすることである。四季折々、その時々にしか食べられない食があり、それは概(おおむ)ね、季節の様子と一致するのである。
たとえば春。春夏秋冬の中で、誰もが一番待ち焦がれる季節。
雪深い北の国はもちろんのこと、南国九州であっても、多くが春を待ち望んでいる。
その春の訪れと共に出回る食材といえば、どれもが生命の息吹を感じさせるものばかりなのは、決して偶然とは思えない。
四季を際立たせる国に生まれてよかった。季節が変わるごとに、つくづくそう思う。
それはしかし、ただ食という面だけでなく、季節が変わることで、暮らしにも変化が生まれ、文章でいうなら句読点のようなもので、日々の生活にメリハリが出る。
衣替えという習慣などは、その最たるもので、日本ならではのことだろうと思う。寒暖の差が激しい京都では、衣服のみならず、部屋の設(しつら)えまで季節に応じて替えてしまう。
その習慣は、京都の町家に陰影をもたらすことにも、ひと役買い、街の景観までをも変えてしまう。
夏が近づくと、部屋を仕切っていた襖(ふすま)が御簾戸(みすど)に代わり、畳の上には網代(あじろ)が敷かれ、窓の外にはすだれが掛かる。これによって町家の眺めは一変し、京の暑さを目からやわらげてくれる。
季節が移ろうことで、街の眺めが変わることなど、日本以外にはないだろうと思う。
ここで興味深いのは、季節と食がシンクロすることである。四季折々、その時々にしか食べられない食があり、それは概(おおむ)ね、季節の様子と一致するのである。
たとえば春。春夏秋冬の中で、誰もが一番待ち焦がれる季節。
雪深い北の国はもちろんのこと、南国九州であっても、多くが春を待ち望んでいる。
その春の訪れと共に出回る食材といえば、どれもが生命の息吹を感じさせるものばかりなのは、決して偶然とは思えない。