経済的にどうなのかは知らないが、食に関していえば、今がバブル絶頂期だろうと思う。
世に高級食材が溢れかえり、それに群がるグルメたち。夜な夜な饗宴を張り、美味美酒が食卓を行き交う。
SNSを見れば分かる。半年先まで予約が埋まっているという、超が付くような、高級割烹を借りきっての宴の様子。
タグ付きのブランド蟹がカウンターを埋め尽くし、その横にはビンテージ・シャンパーニュがずらりと並ぶ。
客たちは皆、見知った仲間うちだから、席も入り乱れ、学生コンパさながらの狂乱を繰り広げ、店の主人や女将もその輪に加わる。ただの乱痴気騒ぎにしか見えないが、これがグルメと呼ばれる人たちには、自慢の宴なのだろう。
これが年に一度のことなら、さほど驚かないが、SNSを見ていると、週に一度のペースで、店を替えては宴を開いているようで、他人ごとながら、どんなに分厚い財布をお持ちなのかと、下司(げす)な疑問まで抱いてしまう。
別段、精進潔斎せよとも言わないし、世界には飢えに苦しむ子どもたちが大勢居るから、とも言わない。ただ、行きすぎてやしないか、と言いたいだけのこと。
流通が発達した今日、お金さえ出せば、世界中から珍味、高級食材が取り寄せられる。ビンテージ・ワインとて同じ。お金に糸目をつけなければ、たやすく入手できる。
そしてそれを供する店とて、高額で借りきってくれるのであれば、他の客の予約に優先して、取り計らってくれるに違いない。決してクレームなど付けるはずもない客であることが約束されていることも、貸し切りが増える要因のひとつだろう。
饗宴ならぬ狂宴と呼びたくなるような食。これは間違いなく〈しょく〉だろう。そこに〈じき〉と呼ぶような思慮は一切なく、人としての節度もまるで感じられない。
いったいいつまで、こんな宴が続くのか。星の数を競い合うのも、ほどほどにして、食堂を〈じきどう〉と呼び、食べるということの意味合いを少しは考えるようにしないと、今に大きなしっぺ返しが来るのではないか。そう思えてならない。
世に高級食材が溢れかえり、それに群がるグルメたち。夜な夜な饗宴を張り、美味美酒が食卓を行き交う。
SNSを見れば分かる。半年先まで予約が埋まっているという、超が付くような、高級割烹を借りきっての宴の様子。
タグ付きのブランド蟹がカウンターを埋め尽くし、その横にはビンテージ・シャンパーニュがずらりと並ぶ。
客たちは皆、見知った仲間うちだから、席も入り乱れ、学生コンパさながらの狂乱を繰り広げ、店の主人や女将もその輪に加わる。ただの乱痴気騒ぎにしか見えないが、これがグルメと呼ばれる人たちには、自慢の宴なのだろう。
これが年に一度のことなら、さほど驚かないが、SNSを見ていると、週に一度のペースで、店を替えては宴を開いているようで、他人ごとながら、どんなに分厚い財布をお持ちなのかと、下司(げす)な疑問まで抱いてしまう。
別段、精進潔斎せよとも言わないし、世界には飢えに苦しむ子どもたちが大勢居るから、とも言わない。ただ、行きすぎてやしないか、と言いたいだけのこと。
流通が発達した今日、お金さえ出せば、世界中から珍味、高級食材が取り寄せられる。ビンテージ・ワインとて同じ。お金に糸目をつけなければ、たやすく入手できる。
そしてそれを供する店とて、高額で借りきってくれるのであれば、他の客の予約に優先して、取り計らってくれるに違いない。決してクレームなど付けるはずもない客であることが約束されていることも、貸し切りが増える要因のひとつだろう。
饗宴ならぬ狂宴と呼びたくなるような食。これは間違いなく〈しょく〉だろう。そこに〈じき〉と呼ぶような思慮は一切なく、人としての節度もまるで感じられない。
いったいいつまで、こんな宴が続くのか。星の数を競い合うのも、ほどほどにして、食堂を〈じきどう〉と呼び、食べるということの意味合いを少しは考えるようにしないと、今に大きなしっぺ返しが来るのではないか。そう思えてならない。

かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。