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 鳥取ならではの環境も、活動の一助となった。豊かな自然に恵まれ、土や木材、綿などの材料がふんだんだったこと。また江戸時代、池田光政・光仲公の国替えにより姫路や岡山から御用職人が移り住み、優れた技術が後世へと受け継がれていたこと。こういった鳥取の成り立ちが、吉田の民藝運動をさらに発展させていった。
 さて、こうして新しい作品が続々と作り出されると、次に必要なのは出来上がった品々を販売する場所だ。吉田は「いい品物を造ると共にその使い手を養成しなくては新興民藝は生長しない」と述べている。実用品である民藝品にとって、使い手を広げることは、資金を得ることと同じくらい重要な意味を持つ。
 そこで吉田は1932(昭和7)年に「鳥取民藝振興会」を設立し、鳥取市内に民藝品の販売店「たくみ工芸店」を開店する。さらにその翌年には東京・西銀座に東京店を出店。地方から中央に向け販路を拡大した。この店は今も「銀座たくみ」として営業を続けている。
陶器から家具、建築物まで、自身がデザインした作品を数多く残した吉田璋也。どれも奇をてらわず、機能と使いやすさを重視したものばかりだ。1972(昭和47)年に74歳で逝去。写真提供/鳥取民藝美術館
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