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食語の心 第24回
作家 柏井壽
食語の心と題して、食の話を縷々綴(るるつづ)ってきたが、この間、日本の食事情は悪化の一途をたどっている。
 それは飲食というより、淫食とでも呼びたくなるような、何とも情けない話で、その第一の要因は、客と料理人の間が、極めて近くなってしまったことにある。
 本来店側と客の間には、結界とも呼ぶべき、厳然たる境界があり、互いにそこから先には立ち入らないことを旨としていた。
 何もそれは飲食店に限ったことではなく、店と客は互いの立場を尊重し、敬意を払いながら、親しく接してきた。どんなに親しい常連客であっても、それこそ〈親しき仲にも礼儀あり〉。店で接客する際は、節度をもって臨み、客もまた同じく、慎みをもって店と、主人と向き合ってきたものである。
 たとえば、とある馴染み(なじみ)の割烹(かっぽう)。至極気軽な店で、今どきのコース一本槍やりの高級店ではなく、しかし居酒屋とは一線を画すような、凛(りん)とした空気が流れる店。
 多いときは月に二度、三度、少なくとも一度は通う店で、居心地の良さと、旨い料理に、大抵は深酒をして、くだをまくこともしばしば。
 そうなると、決まって僕は主人に酒をすすめるのだが、主人は杯を受けて、恭しく捧げ持ち、口を付けるだけで一礼して杯を僕に返した。
 きっと酒に弱いのだろうと長く思い続けていて、あるとき、居酒屋で偶然出会い、その酒豪ぶりに驚いたのだった。
 波々と注がれたコップ酒。口から迎えに行って、くいくいと、音が聞こえてきそうに、実に旨そうに飲む。一気に飲み干して、お代わりを頼んだところで、僕と目が合った。
 気恥ずかしそうに会釈して、頭をかく主人に話を聞けば、「お客さまと同じように、料理人が店で酒を飲んではいけないと、親方にきつく言われましたから」
 きっとこれが本来の姿なのだろうと、深く感じ入った。
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