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アドリア海に面した港湾都市であるブリンディジには、アッピア街道の終点を示す柱が堂々と立つ。ローマ帝国時代から地中海の要衝として栄えたブリンディジは、19世紀中ごろにスエズ運河が開通するとフランスのマルセイユなどと並び、アジアとヨーロッパを結ぶ航路の発着地の一つとなった。
紀元前71年に、スパルタクスに率いられた約6000人の奴隷が反乱を起こした。マルクス・リキニウス・クラッススによって鎮圧されると、逮捕された反乱者たちはアッピア街道沿いに十字架にかけられた。その十字架は、遥かポンペイにまで達したという。
 強大なローマ帝国の滅亡後、アッピア街道は、歴史の表舞台から姿を消し、長らく使われていなかった。しかし18世紀に入り、ローマ教皇ピウス6世の命により修復され、再び利用されるようになる。
 街道の広い部分はもとの状態で保存されており、ところどころは今も自動車道として"現役"である。ローマに近い街道沿いには、ローマ時代の墓碑や初期キリスト教のカタコンベ(地下の墓所)なども数多く残っている。
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