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(左)PGケース×PGブレスレット仕様の「ロイヤル オーク クロノグラフ」のサイドビュー。ラグからブレスレットにかけて、シャープなポリッシュ面が連なるラインや、エルゴノミーを向上させたフォルムが美しい。(右)立体的な台形のパターンが連なるグランドタペストリーダイヤルは、アンティーク機械を用いた伝統的な技法で仕上げられる。シグネチャーロゴも新たなガルバニック加工による24K製に改められた。
現在もオーデマ ピゲは、二人の創業者のスピリットを受け継ぎながら、ジュウ渓谷のウォッチメイキングの伝統を踏まえつつ、最先端の技術開発を推進し、さらにチャレンジングなコンセプトを打ち出して、常にシーンをリードし続けている。複数のブランドで構成されるラグジュアリーグループなどに所属することなく、ファミリービジネスの伝統を守っていることも重要だ。長期的な展望を持った技術開発や、投資家の意見に左右されない思い切った戦略を打ち出せる、ファミリービジネスならではのメリットを、オーデマ ピゲは最大限に生かしてきた。
 フラッグシップ的存在である「ロイヤル オーク」は、こうしたオーデマ ピゲのスタンスを象徴するものと言っていい。今からちょうど半世紀前の1972年4月15日、バーゼルフェアでこの時計はベールを脱いだ。当時はクォーツォッチの登場により、スイス時計産業が苦境に陥った「クォーツショック」が深刻化しつつある時期で、業界内から新しいコンセプトの画期的なモデルを待望する声が上がっていた。オーデマ ピゲはそうしたニーズに応えるかたちで、当時は相いれないと考えられていたラグジュアリーとスポーティーという概念を大胆にも融合することにトライする。
 プロジェクトがスタートしたのは発表の2年前の1,970年。デザイナーには、〝時計デザインのピカソ〞と呼ばれることになる巨匠ジェラルド・ジェンタが起用された。当時オーデマ ピゲ グローバルCEOだったジョルジュ・ゴレイがジェンタに告げたデザインの締め切りは、何と発注の翌朝‼ しかも「革新的なスチール製のスポーツウォッチを」という要望を、「革新的な防水性のあるスチール製のスポーツウォッチ」とジェンタは勘違いしていたという。
 果せるかな、彼は潜水服のヘルメットを着想源とする八角形ベゼルにビスを備えた、薄型ながら当時としてはかなりラージサイズの直径39㎜ケースのデザインを一晩で完成させる。当時の技術では、このデザインをスチール素材で作り上げることは困難を極め、当初のプロトタイプは、スチールよりも柔らかく加工しやすい18Kホワイトゴールドで製作されたという。発売当時の価格は3300スイスフラン。同時期のイエローゴールドケースモデルが2290スイスフランだったことに照らしても、スチールでこの価格は破格のものだった。革新の裏に秘められたこんなエピソードも、この時計の伝説に花を添えている。
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