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(左)皮目はパリッと内側はロゼ色に焼き上げた子羊の背肉と春野菜。シンプルなたたずまいに強烈なおいしさが宿る。
(右)仕入れたヒラメの状態を見極めて最適の火入れを施し、グリーンピースやアスパラガスなど旬の野菜を添えた。
知人に仕事を紹介され、2000年10月に渡仏。数カ月後、「フランスに来て初めて、心からおいしいと思える料理とめぐり合った」と感動した「ラストランス」の扉をたたき、今やフランスを代表する店の一つとなった店の初期に、初の日本人料理人として厨房に立った。いくつかの名店やワイナリーでの経験を経た後、日本の資本家から東京出店の話を持ちかけられ、その準備の一環でスペインの「ムガリッツ」へ。しかし、出店の話はなくなり、パリで知人の店の手伝いや出張料理を行う日々がしばらく続いた。
 そんな折、ラストランス時代からの仕入れ先であった肉屋の息子から、ステークフリットなどおいしい肉をカジュアルに出すビストロを開くが、シェフとして来てくれないだろうか、と話を持ちかけられた。佐藤氏が目指していたのはガストロノミー料理の追求だった。が、その理想を掲げていても、パリで修業中の日本人に実現できるチャンスはほとんどない。せっかく誘ってくれたのだから、まずはシェフというポジションへの第一歩を踏み出そう、と首を縦にふり、2009年3月、「パサージュ53」のシェフとなった。シンプルな料理を手掛ける傍ら、本日のおすすめとして、修業先のトップレストランで得た知識や感性を加えたガストロノミーを提案。それがすぐに客の支持を得て、経営者の味覚も捉えた。「シン、お前の好きな料理をやろう、店をガストロノミーレストランにしよう」と経営者から告げられるまで、2カ月とかからなかった。佐藤氏の料理は瞬く間に評判となり、2年目で二つ星という輝かしい評価を獲得。ビストロを想定した小さな店で客席は最大18。厨房は、細くあぶなっかしいらせん階段を上がった狭い空間。厨房をのぞいたゲストは誰もが、この設備も不十分な小さな空間で、よくもあんな料理を出せるものだ、と舌を巻いたものだった。
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