ヘラクレス神殿の麓、交易の古都アンマン、北にはローマ都市の遺構
ヨルダンの首都、アンマン。約9000年前に作られた人形がここで発見され、ヨルダン博物館に旧約聖書の写本である死海文書と共に展示されている。後世、ローマ軍は故郷に似た七つの丘を持つこの都を気に入り、旧市街には紀元2世紀に建設された広大な円形ローマ劇場も。周辺は喧騒溢れる下町だが公園や広場が隣接し、庶民の憩いの場となっている。
下町を望む丘の上にはアンマン発祥の地であるヘラクレス神殿跡の石柱と、石像のヘラクレスの巨大な指3本が地面をつかむように残されている。神殿自体もかなり大きかったと推測されるが、ヘラクレス像は世界の七不思議の一つで12mもあったという。夜にライトアップされる石柱はアンマンの随所から見え、神秘的な風情を醸し出す。
アンマンの北約50kmにはローマ軍がアラブ圏に造った最大の町、ジェラシュの広大な遺跡が残っている。ローマ帝国の繁栄とともに紀元3世紀には交易の都として多いに栄え、人口は3万人近くなった。当時の劇場、浴場、神殿などの一部が今も残っている。7世紀にはイスラム下に入り、8世紀の大地震で崩壊し衰退の途をたどる。19世紀にドイツ人によって再発見され、1925年から発掘作業が始まった。
現在では、遺跡公園のぎりぎりまで民家が建つ。遺跡との緩衝帯がないためユネスコの世界遺産に登録されていない。古代文明とせめぎ合うように営まれる平凡な日常生活が、新しい時代を担っている。
下町を望む丘の上にはアンマン発祥の地であるヘラクレス神殿跡の石柱と、石像のヘラクレスの巨大な指3本が地面をつかむように残されている。神殿自体もかなり大きかったと推測されるが、ヘラクレス像は世界の七不思議の一つで12mもあったという。夜にライトアップされる石柱はアンマンの随所から見え、神秘的な風情を醸し出す。
アンマンの北約50kmにはローマ軍がアラブ圏に造った最大の町、ジェラシュの広大な遺跡が残っている。ローマ帝国の繁栄とともに紀元3世紀には交易の都として多いに栄え、人口は3万人近くなった。当時の劇場、浴場、神殿などの一部が今も残っている。7世紀にはイスラム下に入り、8世紀の大地震で崩壊し衰退の途をたどる。19世紀にドイツ人によって再発見され、1925年から発掘作業が始まった。
現在では、遺跡公園のぎりぎりまで民家が建つ。遺跡との緩衝帯がないためユネスコの世界遺産に登録されていない。古代文明とせめぎ合うように営まれる平凡な日常生活が、新しい時代を担っている。