
福江城の歴史はわずか9年で幕を閉じた。海が埋め立てられ石垣堀となり、本丸跡には現在、県立五島高等学校、二の丸跡には五島家の祖を祀る城山神社を始め、五島観光歴史資料館、市立図書館が立ち並ぶ。
これだけの高僧たちが足跡を残している寺があるこの地域には、すごいパワーがあるのではないか。その辺りを寺の僧侶に聞くと、「本堂の上、奥の院には不思議な力を持つお地蔵さんがいらっしゃいます。そのお地蔵さんに女性が後ろから抱きつくと、子宝に恵まれるのです。しかも、その姿はほかの誰にも見られてはいけません。その昔は、誰にも見られないために深夜に裸で抱きついていたようですよ」とのこと。
大宝寺には古い「マリア観音」も奉納されている。聞けば、五島では潜伏キリシタンのことも寺で守っていたそうだ。役人がやって来ると、「あの人はキリシタンではありませんよ」と寺の人がそう進言していたとか。そのお礼として当時のキリシタンが納めたものだという。実に五島らしいエピソードである。
同じ、玉之浦町には、海に向かって立つ五島で2番目に古い白鳥(しらとり)神社がある。第42代の文武天皇が698(文武2)年に日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神として祀った。日本武尊の化身である白鳥が飛んできたことから、白鳥神社と呼ばれる。天台宗の開祖である最澄が遣唐使として唐へ渡る際、この地に寄泊し、白鳥神社に航海の安全を祈願した。帰朝後に自らが彫った十一面観音像を奉納したという。この貴重な十一面観音像を、明治年間に当時の神主が大宝寺に移している。明治政府の政策だった廃仏毀釈から守るために、“逃がした"わけだ。加えて、歴代の五島藩主が崇敬した神社でもある。
大宝寺には古い「マリア観音」も奉納されている。聞けば、五島では潜伏キリシタンのことも寺で守っていたそうだ。役人がやって来ると、「あの人はキリシタンではありませんよ」と寺の人がそう進言していたとか。そのお礼として当時のキリシタンが納めたものだという。実に五島らしいエピソードである。
同じ、玉之浦町には、海に向かって立つ五島で2番目に古い白鳥(しらとり)神社がある。第42代の文武天皇が698(文武2)年に日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神として祀った。日本武尊の化身である白鳥が飛んできたことから、白鳥神社と呼ばれる。天台宗の開祖である最澄が遣唐使として唐へ渡る際、この地に寄泊し、白鳥神社に航海の安全を祈願した。帰朝後に自らが彫った十一面観音像を奉納したという。この貴重な十一面観音像を、明治年間に当時の神主が大宝寺に移している。明治政府の政策だった廃仏毀釈から守るために、“逃がした"わけだ。加えて、歴代の五島藩主が崇敬した神社でもある。

福江(石田)城跡。15年の歳月と2万両の公費を使って1863(文久3)年に築城。三方が海の海城である。現在は、大きな門と石垣堀が残るのみだが、五島藩主代々の思いを実現させた江戸時代最後の壮大な城であった。