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(左)1360年頃に大内弘世がこの一の坂川を鴨川に見立て、山口の町づくりを始めた。一の坂川の流れも川沿いや周辺の道もいまだに細いままで、往時の風情がこうした町割りから感じられる。
(右)三間地醤油店。昔ながらの店構えに、「虹色ラムネ」「しょうゆアイス」「甘酒」といった張り紙があり、それがまた懐かしい。 / 一の坂川のほとり、100年以上続く老舗旅館、惣野旅館。もちろん現役だ。趣あるたたずまいが、道行く人々の心を和ませる。 / 一の坂川の上には、人しか通れない橋が何本もかけられている。川の両脇には、大きな屋敷がいくつも立つ。 / 橋の向こうに見えるのは、“昭和レトロ”な雰囲気の喫茶店、むくの木。店内はランプや時計など骨董品に囲まれる空間。 / その一つ、町家を改修したジュエリーショップ、ナナイロネイロ。隣には、幕末に高杉晋作や木戸孝允らが宿泊したといわれる、十朋亭もある。 / 一の坂川から一区画東に位置する竪小路・大殿大路では、歴史的な情緒ある町並みを残そうと、古い町家を改修している。
始祖は百済国の皇子
そもそも大内氏は何者なのか。ルーツをたどってみよう。
 始祖は百済国26代聖明王(せいめいおう)の第3皇子。「聖徳太子に会いたい」一心で船を仕立て、611年に周防国佐波郡多々良の浜(現・防府市)に着岸。念願叶って聖徳太子に目通りし、大内県あがたと多々良姓を賜った、というのが通説だ。ほかにも「多々良は蹈鞴(たたら)に通じるから、製鉄技術を持った渡来人がご先祖ではないか」との説もある。
 大内を氏としたのは16代盛房(もりふさ)の頃。代々周防権介として重きをなし、
以後、平家追討に軍功を上げる、元寇に参加するなどして勢力を増大したとされる。古代の大内家は謎だらけ。だからこそ古代史のロマンに感じ入る。
 山口には、文武両道を地でいく勇将たちが繰り広げた〝華麗なる千年一族〞の物語がつむがれている。

※本特集では、大内氏当主の代数は、琳聖太子を祖とする説による。
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