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ボアブディル王の涙
(左)ライオンの宮殿の北側にあるリンダラハの出窓に見る壁の見事なアラベスク模様。ボアブディルの母がここに住んだといわれ、かつてはこの出窓からアルバイシンが見渡せた。
(右上)洞窟で繰り広げられるフラメンコのショー。多くのロマが住んだサクロモンテの丘も、今は一家族が残るだけといわれる。
(右下)ヘネラリーフェのアセキアの中庭。後世の修復によって再現されたものだが、自然の力学による噴水が優しい音を奏でている。
西ゴート王国の内紛に乗じて地中海を渡ったイスラム勢が、イベリア半島を制圧したのが8世紀。コルドバを中心にイスラム文化を繫栄させるが、それは半島北部からキリスト勢による巻き返しの戦いの始まりでもあり、そのプロセスはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の混交だった。イスラム勢の群雄割拠と勢力を増すキリスト勢の中にあって、1237年グラナダにナスル朝の首都を構えたのが「赤ら顔」の異名を持つムハンマド・イブン・ユースフ(ムハンマド1世)で、海港マラガも手中に収めた。
 グラナダに築かれた城塞(じょうさい)、宮殿はイスラム建築の粋を集め、精緻(せいち) を極めた。シエラネバダから引いた水を利用した噴水を随所に配し、いつも水のささやきが絶えない。砂漠の民ならではのこだわりであろうか。
 だが、この華麗な宮殿も、欲望と死の舞台となり、ワシントン・アービングは『アルハンブラ物語』の中で、3人の美しい王女の悲しくも異端の恋を伝え、歴代スルタン(君主)のうち10人ほどが暗殺されている。
 イベリア半島最後のイスラム王国として栄えていたグラナダだが、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世のキリスト教軍はマラガを陥落させ、グラナダに迫った。
 1492年1月、まだ10代の若きスルタン、ボアブディルはキリスト教軍に城を明け渡し、グラナダを後にした。ある丘にさしかかった時、グラナダを振り返ったボアブディルは、深いため息とともに涙を落とし、マラガに向かった。
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