

(左)横山郷土館として公開されており、大広間などの住居部分も見ることができる。中庭には日本庭園が広がり、洋館の離れまである。ここに戦時中、歌舞伎俳優の市川猿翁が疎開していたそうだ。(右)横山家の店舗の両側に蔵が建てられており、右が麻蔵、左が文庫蔵。腰まわりに岩舟石、軒まわりに赤レンガを組み、災害にも対策を施した造り。間口4間(7.2m)、奥行き5間(9m)もある大きな石蔵だ。
栃木の豪商たち
現在、巴波川では、小江戸情緒あふれる蔵の街を舟で下れる、蔵の街遊覧船が運航している。この遊覧船乗り場のすぐそばに、江戸後期創業の木材回漕問屋だった塚田家の立派な蔵が立ち並んでいる。材木をいかだに組み、江戸の木場まで運んでいた。敷地約4000平方メートルに銘木蔵、文庫蔵、米蔵など八つの土蔵と120メートルの黒塀。当時の栄華をしのばせる。塚田家は昭和初期で木材回漕問屋を廃業したが、現在も5代目と6代目が住んでおり、内部は私立博物館「塚田歴史伝説館」として公開している。6代目の塚田幸市副館長は「塚田家が持つ国登録文化財を後世に引き継ぐのが使命」と話す。
巴波川を北へ上ると見えてくるのが、深岩石の蔵を両側に備えた、格子と黒瓦が美しい「横山郷土館」だ。明治時代の豪商・横山家の初代は、水戸藩士の息子だった横山定助。定助は武家を嫌って商人を志し、この地で麻苧(あさお) 問屋を始めて、財を成した。その後、1899(明治32)年には個人銀行「栃木共立銀行」を設立。
二つの商売をしていたため、店舗の右半分が麻苧問屋、左半分が銀行という珍しい造りになっている。両袖(りょうそで)切妻(きりづま)造りと呼ばれる貴重な建物には、麻苧問屋の帳場や銀行のカウンターなどが再現されている。1998年に国登録有形文化財に登録され、現在は「横山郷土館」として一般公開されている。
巴波川を北へ上ると見えてくるのが、深岩石の蔵を両側に備えた、格子と黒瓦が美しい「横山郷土館」だ。明治時代の豪商・横山家の初代は、水戸藩士の息子だった横山定助。定助は武家を嫌って商人を志し、この地で麻苧(あさお) 問屋を始めて、財を成した。その後、1899(明治32)年には個人銀行「栃木共立銀行」を設立。
二つの商売をしていたため、店舗の右半分が麻苧問屋、左半分が銀行という珍しい造りになっている。両袖(りょうそで)切妻(きりづま)造りと呼ばれる貴重な建物には、麻苧問屋の帳場や銀行のカウンターなどが再現されている。1998年に国登録有形文化財に登録され、現在は「横山郷土館」として一般公開されている。

小舟が行き交う付近から巴波川を北に上ると、明治時代の豪商・横山家が立つ。麻苧(あさお)問屋として知られ、左右に鹿沼産の深岩石造りの蔵がある(1909 ~ 10年に上棟)。