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巴波川沿いに立つ豪商の白壁蔵と黒塀が、蔵の街・栃木を象徴する風景となっている。川面には蔵の街遊覧船の小舟が浮かぶ。船頭は栃木河岸船頭唄を歌いながら舟をこぐ。
日光例幣使街道と巴波川
ここ栃木が商都として発展するきっかけをつくったのは実は、徳川家康だといえる。
 江戸時代に入ってすぐ、1609(慶長14)年にもともとこの辺りを治めていた皆川氏が、改易となる。というのも、1590(天正18)年に豊臣秀吉が北条氏を攻めた小田原合戦の際に、城主・皆川広照(ひろてる)が北条氏に加勢したこともあり、徳川家康が実権を握った後、かつての敵に味方した危険因子の皆川氏を〝お家断絶〞にしたというわけだ。これにより栃木に武士が少なくなり、商人が中心の町へと変貌(へんぼう)せざるをえなかったのだろう。
 もう一つ、栃木の商都としての発展に家康が絡んでくる。家康の死後、家康を祀まつった日光東照宮へ朝廷の勅使が参向する日光例幣使街道の宿場となったからともいわれる。実際、日光例幣使は、日光東照宮の大祭に幣帛(へいはく)を奉納するために、1647(正保4)年から1867(慶応3)年までの221年間、一度も休むことなく参向したという。この京都からの勅使派遣に伴い、街道や富田(とみだ) 、栃木、合戦場(かっせんば) 、金崎(かなさき)などの宿場の整備が進み、中でも街道随一の繁栄を誇ったのが舟運を備えた栃木だ。
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