マーサとともにマドリードへ
スペインでの闘牛取材も続けていたヘミングウェイは、当時の外国人特派員たちの拠点となっていたマドリードのグランビア大通りに面したホテル・フロリダで、マーサと同宿する。隣接するホテル・グランビアの地下のレストランは、物資不足の戦時下でも営業しており、特派員たちは通りを隔てたテレフォニカ(電話局)からニュースを送った。
ヘミングウェイは共和国軍(人民戦線)支援のための映画『スペインの大地』制作に参画。市民戦争を題材にした『誰がために鐘は鳴る』を出版する(1940年)が、ポーリンとはマーサを巡るいさかいが絶えず、離婚。マーサと結婚する。
ヘミングウェイは共和国軍(人民戦線)支援のための映画『スペインの大地』制作に参画。市民戦争を題材にした『誰がために鐘は鳴る』を出版する(1940年)が、ポーリンとはマーサを巡るいさかいが絶えず、離婚。マーサと結婚する。


(左)「ぼくたちはボティンの2階で食事した。そこは世界でも最高のレストランの一つだった」(『日はまた昇る』より)。1725年創業の店の2階には、ヘミングウェイが好んだ席が残されている。(右)『日はまた昇る』で、ジェイクとブレットがカクテルを飲んだホテル・パレスのバー。プラド美術館が好きだったヘミングウェイは、帰路に立ち寄って一杯やるのが通例になっていた。