「鹿島神宮の御祭神、武甕槌大神は日本一力の強い神様です。古事記は、武甕槌大神が出雲の伊耶佐之小浜で大国主命の子、建御名方神と力比べをし、圧倒的な勝ちをおさめたと伝えています。これをもって国譲りが成就し、天照大神の子孫が高天原からこの国に降りてこられたわけです。天孫降臨ですね。その後、神武皇が大和国に入るのをお助けしたことで、お礼として、またこの国を守って欲しいという気持ちから、東の果ての日出る処、一日の始まる処、常陸国鹿島の地に武甕槌大神が鎮祭されました。その辺りから、『鹿島立ち』という言葉が生まれたのでしょう。さらに時を経て、御分霊が奈良の春日大社の第一殿にお祀りされました。要するに、武甕槌大神こそが日本の国と都を守る神様なのです」
武甕槌大神はまた「相撲の神様」ともあがめられる。両国・国技館の壁面には、件(くだん)の力比べの絵が描かれている。6月には新横綱の稀勢の里が奉納土俵入りを行い、話題を集めた。鹿島宮司は「彼は中学3年の時に鹿島神宮を初詣し、相撲界での成功を祈願したそう。横綱として再訪できたことをとても光栄だと言っておられました」と相好を崩す。
「神社には『中今』、つまり長い歴史を受け継いでいく中で、今の私たちはその中間にいる、という考え方があります。人間がご先祖様から綿々と命がつながれてきて今日この世に生かされているように、神社も神様をお守りし、次代へとつないでいかなくてはなりません。戦後、GHQが神様の話をすることを禁じたが、もういいでしょう。私たち神主も神話や古来の風習を掘り起こしながら学びを深め、現代へとつながなくてはいけない。その重要性を改めて感じています。多くの人に鹿島の大神を身近に感じていただけるように」
武甕槌大神はまた「相撲の神様」ともあがめられる。両国・国技館の壁面には、件(くだん)の力比べの絵が描かれている。6月には新横綱の稀勢の里が奉納土俵入りを行い、話題を集めた。鹿島宮司は「彼は中学3年の時に鹿島神宮を初詣し、相撲界での成功を祈願したそう。横綱として再訪できたことをとても光栄だと言っておられました」と相好を崩す。
「神社には『中今』、つまり長い歴史を受け継いでいく中で、今の私たちはその中間にいる、という考え方があります。人間がご先祖様から綿々と命がつながれてきて今日この世に生かされているように、神社も神様をお守りし、次代へとつないでいかなくてはなりません。戦後、GHQが神様の話をすることを禁じたが、もういいでしょう。私たち神主も神話や古来の風習を掘り起こしながら学びを深め、現代へとつながなくてはいけない。その重要性を改めて感じています。多くの人に鹿島の大神を身近に感じていただけるように」