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文豪・志賀直哉もまた、尾道にひかれた一人である。父親との不和が原因で東京を離れた直哉は、1912(大正元)年の秋から翌年の中ごろまで、尾道に家を借りて住んでいる。それからも時折上京したため、尾道で暮らしたのは通算半年ほどだったというが、この街は直哉に少なからず影響を与えたようだ。尾道を舞台とした短編「清兵衛と瓢箪」を発表したほか、代表作の『暗夜行路』の草稿もこの地で執筆した。『暗夜行路』には、主人公の時任謙作の体験として、直哉自身が見た尾道が表現されている。

「六時になると上の千光寺で刻(とき)の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。それはピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。」(志賀直哉『暗夜行路』)
尾道と並び称されることの多い、瀬戸内の歴史ある港町、鞆(とも)の浦の街並み。戦国時代には大内氏の勢力下となり、因島村上氏の村上吉充に与えられた。鞆の浦には弟の村上亮康(すけやす)が派遣されている。
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