古代から潟が存在する霞ヶ浦周辺には、もう一つ、特筆したいことがある。それは、霞ヶ浦の出口(海との境)に鹿島神宮と香取神宮が向き合うように鎮座していることだ。現在の地形からは想像しがたいが、1000年以上前のこの辺りの地形図を見れば、すぐに合点がいく。古代の霞ヶ浦は複雑に入り組んだ内海となっており、その出口を両側から押さえるように両神宮があったのだ。 『延喜式』神名帳で「神宮」と書かれているのは、伊勢の「大神宮」を除けば、この両社のみで、古代の官社の中でも“特別扱い"をされていたことがわかる。古代の霞ヶ浦の出口に向き合うように立つ鹿島神宮と香取神宮。それぞれの役割や、地名が持つ意味、両社の関係などを考えてみよう。


楼門 1634(寛永11)年に水戸藩初代藩主の徳川頼房により奉納されたもの。秀麗な造りのこの楼門は、九州の阿蘇神社、筥崎宮(はこざきぐう)とともに日本三大楼門に数えられている。