

(左)高徳寺 1579(天正7)年に創建された高徳寺は、松江藩の松平家の墓があるなど、本堂の屋根の瓦や、扉に葵の紋が配されている。ひっそりとある寺ながら眠っている人たちは大物ぞろいだ。(上)江戸時代後期の茶坊主である河内山宗春の墓もある。宗春は11代将軍徳川家斉の治世下の江戸城西の丸に出仕した表坊主。講談や歌舞伎などに登場する「宗俊」のモデルでもある。
葵の紋の高徳寺
青山熊野神社から程近い高徳寺も、その広さからかおだやかで牧歌的な雰囲気が漂う。
高徳寺は、徳川家康が江戸に呼び寄せたという甲賀武士の遠藤宗家が菩提寺として1579(天正7)年に創建。遠藤宗家は多くの甲賀武士とともに甲賀組を組織し、江戸城の本丸と大手三門の警備にあたった。その役目の武士たちは、現在の善光寺の周辺、青山百人町に居住していた。この高徳寺には、松江藩の初代藩主、松平直政の側室の墓所のほか、松平家代々の墓がある。これは遠藤宗家が、大坂冬の陣・夏の陣での真田幸村との対戦で、家康の孫である松平直政に仕えたためだという。高徳寺の本堂の屋根の瓦や扉などに、葵の紋が配されているのは、こうしたゆえんである。今でも檀家(だんか)総代は、遠藤宗家の当主などが務めている。
高徳寺は、徳川家康が江戸に呼び寄せたという甲賀武士の遠藤宗家が菩提寺として1579(天正7)年に創建。遠藤宗家は多くの甲賀武士とともに甲賀組を組織し、江戸城の本丸と大手三門の警備にあたった。その役目の武士たちは、現在の善光寺の周辺、青山百人町に居住していた。この高徳寺には、松江藩の初代藩主、松平直政の側室の墓所のほか、松平家代々の墓がある。これは遠藤宗家が、大坂冬の陣・夏の陣での真田幸村との対戦で、家康の孫である松平直政に仕えたためだという。高徳寺の本堂の屋根の瓦や扉などに、葵の紋が配されているのは、こうしたゆえんである。今でも檀家(だんか)総代は、遠藤宗家の当主などが務めている。
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