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(上)金王八幡宮 現在の社殿は、徳川家光が3代将軍に決定した時、守役の青山忠俊が乳母の春日局とともに1612(慶長17)年に造営を開始したもの。その後、何度か修理をしたが江戸時代初期の建築様式をとどめているそうだ。(左)この辺りの高台一帯に渋谷氏の居城があった頃、東に鎌倉街道、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷があって、この地形を利用した城は山城のようだったそうだ。(右)金王八幡宮の一の鳥居。金王八幡宮は、渋谷氏が領していた八幡通り(旧・鎌倉街道)、青山通り、宮益坂、道玄坂(旧・大山街道)を中心とする、渋谷や青山の総鎮守とされている。
渋谷最古の神社
金王八幡宮から清閑な住宅街をゆるやかに下っていくと、常盤松小学校に出る。そして高台に位置する國學院大学の方向にあるのが氷川神社だ。ちょうど西に渋谷川、東にいもり川があって、その間の高台に位置していることになる。
 古くは氷川大明神といって旧下渋谷村、豊沢村(渋谷区南端一帯)の総鎮守であった。創始は非常に古く、これを明らかにすべきものはないが、1605(慶長10)年に別当宝泉寺第100代の住職宝円の記した「氷川大明神宝泉寺縁起」によると景行天皇の代の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の時、当地に素盞嗚尊(すさのおのみこと)を勧請したとある。約4000坪ある境内には、江戸郊外三大相撲の一つ、金王相撲の相撲場跡があるほか、大木が立ち並び、渋谷であることを瞬時に忘れさせるほど、豊かな自然に囲まれている。本殿から一の鳥居まで続く長い参道を下りていくと、その門前には商店街がある。昭和の香りがする八百屋や居酒屋、おしゃれなカフェとさまざまだが、その雰囲気は下町風情が漂う。
 その商店街を抜けると、渋谷川沿いの明治通りに突き当たる。
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