
二子玉川が近く便利な場所にありながらも、世田谷区中町は緑が多い住宅街。低層の建物が多く落ち着いた街並みが続いている。

住宅街としての記憶を紡ぐ世田谷中町
Photo Satoru Seki(P2)
Text Nile’s NILE
Text Nile’s NILE
いい街にはいい記憶が数多く残っている。過去から現在、現在から未来へ。いい記憶と歩んで行く街は楽しく、人の息吹が感じられる。
世田谷区中町は、生活と文化、芸術、自然、歴史がうまい具合にバランスをとっている街といえる。そして、この街だけですべてを完結させることもできるし、この街をベースに他の街へ出かけながら生活領域を広げることもできる。地理的には用賀、桜新町、深沢、等々力(とどろき)、上野毛(かみのげ)といった閑静な住宅街のちょうど中心に位置する。東急田園都市線の「桜新町駅」や「用賀駅」、東急大井町線の「上野毛駅」を最寄りとする住宅地である。
世田谷区中町の名前の由来は、位置的に玉川地域の中央にあることからで、1932年(昭和7)年に玉川中町とされた。その後、1969年(昭和44)年の住居表示実施の際、現在の中町となったとされている。もともと世田谷区中町は、大正時代初期に開発された東京で初めての郊外型住宅分譲地「新町住宅」に近接するエリアである。古くに整備された区画のため、一区画の面積が大きく道路幅も広く作られている。さらにこのあたりは現在、第一種低層住居専用地域に指定されているため、低層の住居が多く歴史ある住宅街としての姿が今もなお残っている。
世田谷区中町の名前の由来は、位置的に玉川地域の中央にあることからで、1932年(昭和7)年に玉川中町とされた。その後、1969年(昭和44)年の住居表示実施の際、現在の中町となったとされている。もともと世田谷区中町は、大正時代初期に開発された東京で初めての郊外型住宅分譲地「新町住宅」に近接するエリアである。古くに整備された区画のため、一区画の面積が大きく道路幅も広く作られている。さらにこのあたりは現在、第一種低層住居専用地域に指定されているため、低層の住居が多く歴史ある住宅街としての姿が今もなお残っている。