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ルカス・クラーナハ(父) ≪聖カタリナの殉教≫ 1508年ごろ ブダペスト、ラーダイ改革派教会図書館 ⒸErich lessing / lessingimages.com
“売れっ子画家”クラーナハ
彼が拠点としたのは、ウィッテンベルク。まさしく宗教改革の震源地となったその都市で、クラーナハは計3代のザクセン選帝侯に仕える宮廷画家として、およそ半世紀にわたって活動した。
 彼を雇用した選帝侯たちは、新しい学問や文化を庇護(ひご)し、敵対派の多かったルターの改革運動を毅然(きぜん)と後押しするなど、際立った政治を展開した。クラーナハという画家の躍動は、その環境なしにはありえなかった。とはいえ、クラーナハはただ宮廷画家として選帝侯に仕えたのではない。この画家は、時代に先駆けた「企業家」、または「事業家」としても振る舞ったからである。
 クラーナハほどに「売れた」画家は、少なくとも当時のドイツにはいなかった。「素早い画家」との異名を与えられていた彼は、大規模な工房を運営し、息子のルカス・クラーナハ(子)や多数の弟子、その他の協働制作者たちとの効率的な集団制作のシステムを確立することで、絵画の大量生産を実現したのである。その最大の「ヒット商品」として、今日の人々にもよく記憶されているのは、世界史の教科書などにも出てくるルターの肖像画だろう。クラーナハは、同じウィッテンベルクに暮らすルターと家族ぐるみの交友関係をもっていた。
 そんな画家は、ルターの顔を繰り返し描いて世間に広めるとともに、彼の思想を絵でわかりやすく伝達し、改革運動におおいに貢献したのである。
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