


(上)本殿前のこま犬。そもそもこま犬は、獅子や犬に似た獣で想像上の生物とされる。像として神社や寺院の両脇、あるいは本殿や本堂の正面左右などに一対で向き合う形で置かれる。参拝者と正対する形で配されることも多い。
(左)本殿ではちょうど祈祷(きとう)が行われていた。箱根神社はもともと武将が心願成就に訪れ、開運厄除、東海道中の無事の祈願や、安産祈願、そして家内安全などさまざまに崇敬されるようになったパワースポット。
(右)本殿や神門には、こうした緑や白の彩色の装飾が施されている。注連縄(しめなわ)と紙垂(しで)により、聖域を示している。深い木々の中に朱の建物が荘厳な雰囲気を醸し出している。
(左)本殿ではちょうど祈祷(きとう)が行われていた。箱根神社はもともと武将が心願成就に訪れ、開運厄除、東海道中の無事の祈願や、安産祈願、そして家内安全などさまざまに崇敬されるようになったパワースポット。
(右)本殿や神門には、こうした緑や白の彩色の装飾が施されている。注連縄(しめなわ)と紙垂(しで)により、聖域を示している。深い木々の中に朱の建物が荘厳な雰囲気を醸し出している。
古代から山岳信仰が盛んだった箱根山。その信仰の中心は、箱根山の最高峰、神の山といわれた神山(かみやま)(標高1438メートル)である。つまり、箱根山で一番高い神山は、神様が降臨する“神聖な山"であったわけである。
第5代の孝昭天皇の時代に、聖占(しょうぜん)上人が神山を御神体として、神仙宮を駒ケ岳に開いたことが、山岳信仰の聖地となったゆえんといわれている。その証拠に駒ケ岳山頂には今でも、箱根神社の元宮があり、神々の祭りが斎行されている。
約3000年前には、神山の北西斜面において大規模な水蒸気爆発が発生し、これにより現在の大涌谷、仙石原、芦ノ湖が誕生した。当時この辺りは、それは神々しく美しい景色だったに違いない。そして、奈良時代初期の757(天平宝字元)年に万巻(まんがん)上人が、現在の箱根神社の場所に里宮を建てたのが、その始めとなっている。その後、仏教伝来に伴う神仏習合により、古代から続いた山岳信仰が仏教、修験道と結びつくと、箱根権現と呼ばれるようになった。
第5代の孝昭天皇の時代に、聖占(しょうぜん)上人が神山を御神体として、神仙宮を駒ケ岳に開いたことが、山岳信仰の聖地となったゆえんといわれている。その証拠に駒ケ岳山頂には今でも、箱根神社の元宮があり、神々の祭りが斎行されている。
約3000年前には、神山の北西斜面において大規模な水蒸気爆発が発生し、これにより現在の大涌谷、仙石原、芦ノ湖が誕生した。当時この辺りは、それは神々しく美しい景色だったに違いない。そして、奈良時代初期の757(天平宝字元)年に万巻(まんがん)上人が、現在の箱根神社の場所に里宮を建てたのが、その始めとなっている。その後、仏教伝来に伴う神仏習合により、古代から続いた山岳信仰が仏教、修験道と結びつくと、箱根権現と呼ばれるようになった。