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若狭彦神社
境内に足を踏み入れた瞬間、神話の世界に迷い込んだ心地。神々の森に降った雨が長い年月を経て浄化され、絶えることなく湧きだすという伏水の手水に1200年の歴史を感じる。
旅する香水
お水送りの神事を司る(つかさどる)のが神宮寺。若狭随一の木造本堂に荘厳な気満ちる古刹(こさつ)である。縁起によると、元正天皇の勅命により714(和同7)年に若狭一の宮の神願寺として、泰澄(たいちょう)大師の弟子・沙門滑元が創建。鎌倉初期に若狭彦神社別当寺神宮寺と改名。当時は7堂伽藍(がらん)25坊を誇ったが、豊臣時代に寺領を没収され、明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)により衰微した。
 一の宮の祭神は、地元の伝承では若狭彦神を名乗ったとされる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(山幸彦)。715(霊亀元)年に遠敷川鵜の瀬の白石の上に、白馬に乗った唐人の姿で降臨された。続いて姿を現したのが妻の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)。2神は遠敷谷に安住の地を得て、山幸彦は若狭彦神社に、豊玉姫は現在はここより1.5㎞下流にある若狭姫神社に鎮座された。この二神はすでに国府があった時代に降りてこられたことから、「若狭国を治めるために迎えられた神々ではないか。その衣装は渡来人を意識し模されたのかもしれない」と芝田館長は指摘する。
 それはさておき、両神社の奥の院である神宮寺本堂に正座し、住職にお水送り神事の由来をうかがった。
「東大寺二月堂修二会(しゅにえ)が始められた天平の昔、全国から諸神が勧進されたのですが、若狭国の遠敷明神は漁に夢中になり遅刻しました。そのおわびとして、二月堂のご本尊である十一面観音に遠敷の香水を送ると約束しましてね、神通力を発揮して白黒2羽の鵜を使って鵜の瀬から二月堂の下まで、地中に水の通り道を引かせた。その香水がこんこんと湧き出た所を囲ってできたのが二月堂の若狭井だと伝えられています」
 お水送り神事は毎年3月2日、豊作を祈願する山八神事、神宮寺本堂での修二会などに続いて夕方6時ごろに始まる。赤装束の僧が大きな松明(たいまつ)を左右に振りかざす達陀(だったん)の行を行い、大護摩が焚かれた火をもらい受けた3千人ほどの松明行列が鵜の瀬に向かう。そこで白装束の住職が祝詞(のりと)を読み上げ、竹筒から香水を遠敷川に注ぐ。その香水は山野を越えて100㎞以上の旅をし、10日後、二月堂でお水取り神事が行われる日に届けられる。壮大なスケールだ。
 都との深いつながりを彷彿させる古代の若狭を思いつつ参拝。「大きな神棚と仏様が同居されているここは、神仏習合が温存されている数少ない寺院です。お参りする時はどうぞ、仏さんの前で思い切りかしわ手を打ってください。でないと、ここに来たかいがない」との住職のお言葉に従い、合掌して二拍手。神宮寺を後にした。
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