
美浜町(みはまちょう)・山上の入江から若狭湾を望む。この辺りは若狭湾といえども、日本海に近く、強風が吹きつけ、かなり波が荒い。一日中雪が降っていたこともあり、海上は時化(しけ)ていた。

若狭
Pays des Merveilles
Pays des Merveilles
Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba
寒波襲来。空を雪が舞い、若狭の海に荒波が立つ。
強風にあおられるように、思いは千年以上の時を逆走する。
それは、若狭が「御食国」の一つとされた奈良・平安時代のこと。
この海に生まれ育った魚や貝などは「御贄」として天皇や宮中に献上されていたという。
食によって敷かれた都との太いパイプライン――。
その都との深いつながりはまた、密教の寺院が多いことからもうかがえる。
加えて、若狭の港町・小浜は日本海側から都に入る一番近い玄関口。
大陸の人たちが海を渡って若狭に入り、都へと向かったであろうことは想像に難くない。
若狭には、だから古いものが今なおたくさん生きている。
厳寒の若狭へ。ここには、古代から現代につながる“おいしい歴史”が息づいている。
強風にあおられるように、思いは千年以上の時を逆走する。
それは、若狭が「御食国」の一つとされた奈良・平安時代のこと。
この海に生まれ育った魚や貝などは「御贄」として天皇や宮中に献上されていたという。
食によって敷かれた都との太いパイプライン――。
その都との深いつながりはまた、密教の寺院が多いことからもうかがえる。
加えて、若狭の港町・小浜は日本海側から都に入る一番近い玄関口。
大陸の人たちが海を渡って若狭に入り、都へと向かったであろうことは想像に難くない。
若狭には、だから古いものが今なおたくさん生きている。
厳寒の若狭へ。ここには、古代から現代につながる“おいしい歴史”が息づいている。
「御食国」――この字面を見ただけで、おいしいものに恵まれた地を想起し、生唾が湧いてくるようだ。
志摩国や淡路国、伊勢国などとともに、天皇家に海産物を貢進する御食国であったと言われる若狭国。今も越前がにや若狭かれいは皇室献上品だし、京都・錦小路の魚屋の店先には「若狭もの」という墨文字の躍る薄い木札が「高級品だよ」と誇るように異彩を放っている。千年以上の時を経た今も、若狭は多くの「おいしい」に彩られているのだ。
志摩国や淡路国、伊勢国などとともに、天皇家に海産物を貢進する御食国であったと言われる若狭国。今も越前がにや若狭かれいは皇室献上品だし、京都・錦小路の魚屋の店先には「若狭もの」という墨文字の躍る薄い木札が「高級品だよ」と誇るように異彩を放っている。千年以上の時を経た今も、若狭は多くの「おいしい」に彩られているのだ。