


(上)SANAA
Factory Building(2012)
妹島和世と西沢立衛によるサナアが設計した巨大なオーバル状の建物は、白いプレキシガラスを使用した外観が印象的なデザイン。
(中・下)Jean Prouvé
Petrol Station(2003)
1950年代初頭にジャン・プルーヴェが設計したガソリンスタンドを2003年に移築。プレハブのアルミパネルを用いた構造となっている。
Factory Building(2012)
妹島和世と西沢立衛によるサナアが設計した巨大なオーバル状の建物は、白いプレキシガラスを使用した外観が印象的なデザイン。
(中・下)Jean Prouvé
Petrol Station(2003)
1950年代初頭にジャン・プルーヴェが設計したガソリンスタンドを2003年に移築。プレハブのアルミパネルを用いた構造となっている。
世界的建築家の初期作品
その後、ヴィトラキャンパス初期のアイコンとも言える彫刻を制作したクレス・オルデンバーグの紹介でフランク・O・ゲーリーに出会い、89年にヴィトラデザインミュージアムが完成。当初4000点を超える家具やイスを所有するヴィトラ社のコレクションを保管・展示するため計画されたが、ゲーリーにとってヨーロッパ初の作品となる建物が世界中から注目を集め、現在は展覧会や巡回展の開催からワークショップまで、幅広く利用されている。
さらに、93年には防火対策として工場敷地内にザハ・ハディドのファイヤーステーションが竣工。エッジの効いた建物は彼女の初めての作品で、95年に消防署としての役割を終え今はエキシビションやイベントなどに使用されている。同じく93年には、安藤忠雄の海外初の作品となるカンファレンスパビリオンが完成した。サクラとの共生を目指して設計された建物で、入り口までの長い小道で精神を落ち着かせるよう計画されている。
これら後にプリツカー賞を受賞する三者を中心に計画された建物が、工場再建をきっかけとするヴィトラキャンパスの初期を形成することとなった。
さらに、93年には防火対策として工場敷地内にザハ・ハディドのファイヤーステーションが竣工。エッジの効いた建物は彼女の初めての作品で、95年に消防署としての役割を終え今はエキシビションやイベントなどに使用されている。同じく93年には、安藤忠雄の海外初の作品となるカンファレンスパビリオンが完成した。サクラとの共生を目指して設計された建物で、入り口までの長い小道で精神を落ち着かせるよう計画されている。
これら後にプリツカー賞を受賞する三者を中心に計画された建物が、工場再建をきっかけとするヴィトラキャンパスの初期を形成することとなった。