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墓守人 岩見武夫(いわみ・たけお)
1937年仙台市生まれ。早稲田大学卒。1966年に香港柔道館設立。1985年東洋警備(香港)有限公司創立。1999年諸外国との国際親善に寄与した理由で外務大臣賞、2008年秋の叙勲で旭日双光章を受ける。柔道8段。
20世紀に入りワンチャイの埋め立て工事が完了すると、個人商店はこちらに移住、本願寺や日本人病院なども築かれた。日本人数は421人。そして、第1次世界大戦で貿易中継地として香港が栄えると共に日本人も増えていく。しかし、日中事変を機に排日運動が起こり、第2次大戦で香港の日本人は拘束されるか、強制送還に。そして、1952年に日本総領事館が再開されるまで、日本との交流は途絶えてしまう。
 2世紀前にさかのぼり香港に渡った日本人だが、資産も身寄りもない人々を香港に埋葬したのが、日本人慈善会であった。火葬場を設け、コーズウェイベイにも近いハッピーバレーと呼ばれる山麓(さんろく)の公共墓地の一角は、やがて香港に骨を埋める日本人の墓地となった。日本人500人近くが眠る墓は、1930年代以降顧みられることもなく、荒れ放題のまま山腹の土砂に埋もれてゆく。
 それを1980年末、日本人倶楽部が率先して修復にあたった。1m近い土砂下などから458基の墓を掘り起こし、一部は移築し、桜の木などを植え、現在の姿となった。香港有数の競馬場を望む緑豊かな山麓だ。ここの墓守を称する岩見武夫氏は香港の日本人のドンとも呼ばれる人物だ。1962年、中曽根康弘元首相の門下生(早大生の時)として香港を訪ねたのをきっかけに、オリンピックのレスリング候補でもあり柔道の黒帯を保有していたことから、香港に道場を開いた。いったん日本に帰国するも、東洋警備の責任者として再び香港へ。日本領事館を始め、日系企業300社の警備と共に、日本人墓地の補修も手がけることになった。
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