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「現在、商工会議所のメンバーは674社、この10数年では最高数に。近年は大企業よりも小規模のベンチャー企業が増えているのが特徴です。また、日本人間の懇親のみならず、非日本人会員も増えていて、日本人倶楽部も活発です」
 香港に日本人倶楽部の前身ともいえる「日本人慈善会」ができたのは、1880年代後半だ。1873年に日本領事館が創設された時は、在留邦人はわずか12人。1880年代後半には三井物産、三菱汽船などが進出、これに伴い個人商店主など邦人が60人を超え、相互助け合いのために日本人慈善会が結成された。
 1905年、主にワンチャイを中心として活動していた「日本人慈善会」とは別に、セントラルに住む大企業の駐在員らが「日本人倶楽部」を開設。ワンチャイ地区の日本人入会を制限したことから、反目し合うものになってしまった。1920年に両組織がようやく和解、ほかに設立されていた日本人懇親会、日本人教育委員会、日本人青年会などを統一合併した「香港日本人会」が誕生した。しかし、第2次大戦とともに大半の日本人は引き揚げ、日本人会は解散する。1952年秋に日本の総領事館が開設され、1955年に「香港日本人倶楽部」がセントラルのホテルの一室で日系企業19社により設立。2年後には手狭となり、コーズウェイベイへと移転する。
香港日本人倶楽部事務局長 柳生政一(やぎゅう・まさかず)
「香港の町は混沌(こんとん)としていますが、法制度などはクリーンで汚職などにも厳しく対処、ビジネスはやりやすいはず」。地元の通勤者と共に毎朝、九龍半島側新界の自宅からコーズウェイベイまでメトロで通う。趣味は料理、実家は岡山市中区古京町の手打ちうどんの老舗「玉扇」を経営。
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