
開山堂から偃月池の上に架かる観月台、樹木越しには書院が見える。
残念ながら、建物の大半は幕末の騒乱や火災などで焼失し、現在残る敷地は1万5000坪ほどとずいぶん小さくなった。しかし、伏見城から移築された建物とともに、高台寺蒔絵を始めとする桃山美術を物語る多くの宝物は難を免れた。臥龍池(がりょうち)と偃月池(えんげつち) 、二つの池を中心に造られた庭園もその一つだ。400年前に、ねねが見ていたであろう景色と同じ姿を今に伝えている。
この庭を手がけたのは、千利休の弟子でもあった小堀遠州だ。近江の国に生まれた遠州は、大名茶人として活躍。「綺麗さび」という幽玄・有心の茶道を創り上げた遠州流茶道の流祖である。茶道を通して確立したその美学を、作庭や建築物にも表現し、大徳寺孤篷庵(こほうあん)や金地院に代表される多くの茶室や庭を造営したことでも知られる。高台寺の庭園の見事な石組みも、遠州の本領が存分に発揮された作品だ。
また趣向として面白いのは、偃月池の上に架かる、書院と開山堂を結ぶ屋根付きの廊下の途中に、観月台という小さな建物が設(しつ)らえられていることだ。檜皮葺(ひわだぶ)き・四本柱のこの建物は、文字通り、月を愛(め)でるためのもの。三方に唐破風を付けた屋根の下から、夜空に浮かぶ月が眺められる。加えて、下の池に映じる月を楽しむこともできる〝二重の仕掛け〞になっている。ねねもよくこの観月台で、亡き秀吉をしのびながら、月を見ていたという。
この庭を手がけたのは、千利休の弟子でもあった小堀遠州だ。近江の国に生まれた遠州は、大名茶人として活躍。「綺麗さび」という幽玄・有心の茶道を創り上げた遠州流茶道の流祖である。茶道を通して確立したその美学を、作庭や建築物にも表現し、大徳寺孤篷庵(こほうあん)や金地院に代表される多くの茶室や庭を造営したことでも知られる。高台寺の庭園の見事な石組みも、遠州の本領が存分に発揮された作品だ。
また趣向として面白いのは、偃月池の上に架かる、書院と開山堂を結ぶ屋根付きの廊下の途中に、観月台という小さな建物が設(しつ)らえられていることだ。檜皮葺(ひわだぶ)き・四本柱のこの建物は、文字通り、月を愛(め)でるためのもの。三方に唐破風を付けた屋根の下から、夜空に浮かぶ月が眺められる。加えて、下の池に映じる月を楽しむこともできる〝二重の仕掛け〞になっている。ねねもよくこの観月台で、亡き秀吉をしのびながら、月を見ていたという。

高台寺の庭園は「どこから見ても美しい」庭園である。
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