
と同様に、京都で美味しいものと出会いたいなら、幾らかの予備知識が要る。もしくは心構え。
当たり前のことだが、京都の店すべてが美味しいわけではない。むしろ、常に旨いものを食べられる店の方が少ない。そんな数少ない美食の店に巡りあうコツ。その第一は「〈京〉の文字に惑わされない」である。
京都に在って、暖簾や看板の〈京〉のひと文字は、露ほどの意味も持たない。都人には不要とも思える〈京〉を大書するのは、偏ひとえに観光客に向けてのアピール。
――朝採れの京野菜をふんだんに使い、老舗の京豆腐、名店の京湯葉を贅沢に使用した、当店自慢の京料理を――
などと掲げていれば、遠ざけるに限る。文字だけではない。如何にも京都らしい和服姿で、アヤシイ京言 葉を操り、必死で呼び込みをする店も避けた方が無難だ。先の偽装問題と同じく、それらしく見せようとす る店ほど、紛い物であることが多い。
第二に「星の数などあてにはならない」だ。フレンチならともかくも、京料理という文化を軽々に格付けなど出来るものではない。三つ星だからと言って、誰にでも奨められることはなく、星のひとつもなくても、遠来の客を是が非でもご案内したい店がある。
当たり前のことだが、京都の店すべてが美味しいわけではない。むしろ、常に旨いものを食べられる店の方が少ない。そんな数少ない美食の店に巡りあうコツ。その第一は「〈京〉の文字に惑わされない」である。
京都に在って、暖簾や看板の〈京〉のひと文字は、露ほどの意味も持たない。都人には不要とも思える〈京〉を大書するのは、偏ひとえに観光客に向けてのアピール。
――朝採れの京野菜をふんだんに使い、老舗の京豆腐、名店の京湯葉を贅沢に使用した、当店自慢の京料理を――
などと掲げていれば、遠ざけるに限る。文字だけではない。如何にも京都らしい和服姿で、アヤシイ京言 葉を操り、必死で呼び込みをする店も避けた方が無難だ。先の偽装問題と同じく、それらしく見せようとす る店ほど、紛い物であることが多い。
第二に「星の数などあてにはならない」だ。フレンチならともかくも、京料理という文化を軽々に格付けなど出来るものではない。三つ星だからと言って、誰にでも奨められることはなく、星のひとつもなくても、遠来の客を是が非でもご案内したい店がある。