

(左)小泉八雲旧居の書斎。八雲が使った特注の椅子や机(レプリカ)が展示されている。松江を愛し、日本を愛した八雲は、怪談のほか、日本文化や風俗を好意的に紹介した随筆集を残した。(右)小泉八雲旧居。八雲が暮らした当時の姿が、ほぼそのまま保存されている。八雲の居間やセツ夫人の部屋などを囲む庭は、八雲の作品「知られぬ日本の面影」の舞台となった。
松江藩士の娘、小泉セツと結婚した八雲は、松江城堀端の武家屋敷に暮らし、セツを通して松江を愛し、日本文化を理解した。また、セツから松平家の菩提寺(ぼだいじ)である月照寺の石の大亀が、夜な夜な町に出て人を食らう話など、この地に伝わる怪談の数々を聞いた。これが、のちに「耳なし芳一の話」などを著すきっかけとなったのだ。セツこそが、八雲を文豪として大成させたと言っても過言ではないだろう。
日本の美を愛した八雲は、不昧公もたびたび訪れていたという、譜門院(ふもんいん)境内の茶室「観月庵(かげつあん)」で、茶の手ほどきを受けたこともあるという。八雲が松江で暮らしたのは、熊本に赴任するまでのわずか1年3カ月ほどだったが、その間に松江の文化や風習から受けた深い感銘は、彼の生涯にわたり消えることはなかった。
現在も、松江城北側の塩見縄手に、小泉八雲が暮らした屋敷を見ることができる。屋敷を囲む日本庭園など、八雲の感性がうかがえる空間だ。当時、八雲に家を貸していた大家がそのままこの家の持ち主であり、隣で暮らしているというのも、松江にしかないエピソードであろう。塩見縄手には、ほかにも武家屋敷と老松の昔ながらの町並みが残る。
日本の美を愛した八雲は、不昧公もたびたび訪れていたという、譜門院(ふもんいん)境内の茶室「観月庵(かげつあん)」で、茶の手ほどきを受けたこともあるという。八雲が松江で暮らしたのは、熊本に赴任するまでのわずか1年3カ月ほどだったが、その間に松江の文化や風習から受けた深い感銘は、彼の生涯にわたり消えることはなかった。
現在も、松江城北側の塩見縄手に、小泉八雲が暮らした屋敷を見ることができる。屋敷を囲む日本庭園など、八雲の感性がうかがえる空間だ。当時、八雲に家を貸していた大家がそのままこの家の持ち主であり、隣で暮らしているというのも、松江にしかないエピソードであろう。塩見縄手には、ほかにも武家屋敷と老松の昔ながらの町並みが残る。