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柏原八幡神社
信長の丹波攻めで焼失したが、天正10年(1582)に秀吉が堀尾茂助に命じて再建。本殿裏に、朱塗りの三重の塔があり、神仏習合の名残をとどめている。社殿前には、石工・丹波佐吉による見事な一対の狛犬が座す。
異質な風情を醸す城下町・柏原
奥丹波が歴史の表舞台に登場するのは、明智光秀が天正7年(1579)に丹波一国を拝領して以降のことだ。その3年後に光秀は丹波亀山城を発ち、本能寺の変を起こしたが、あえなく失脚。慶長3年(1598)に織田信長の弟である信包が丹波国氷上郡内の3万6千石を与えられて柏原藩が設置された。ようやく奥丹波に光が当たった、という見方もできる。以後、明治の廃藩置県を迎えるまで、織田氏がこの地を治めた。そんな背景があって、柏原町は奥丹波の中でもやや異質な城下町としての趣を今に伝えている。
 織田神社、建勲神社、成徳寺、柏原藩陣屋跡等、織田家ゆかりの地であることを偲ばせる柏原町には、古い通りが幾筋も巡る江戸の武家屋敷さながらの家並みが続く。
 その中で異彩を放つのが柏原八幡神社である。万寿元年(1024)、京都石清水八幡宮の別宮として創建された神社だ。けっこうきつい石段を登った先、山の上に鎮座する。
 藩政前からずっと柏原神社が見守ってきた奥丹波は、庶民の日々の営みの中で豊かさと多様性を培ってきた。その魅力が今後も脈々と受け継がれていくことを祈りたい。
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