



(左端)にし茶屋街から下って、犀川のほとりに室生犀星が養子に出された雨宝院がある。その脇には犀川から街に引かれた泉用水が流れる。
(左中)西茶屋資料館。作家の島田清次郎が小説『地上』の舞台とした「吉米楼(よしよねろう)」跡に当時の造りを再現。2階は座敷などを開放する。
(右中)にし茶屋街の検番。稽古場でもある、芸妓の事務所のような場所。なお、にし茶屋街は金沢の三茶屋街でもっとも芸妓の数が多い。
(右端)室生犀星記念館。犀星の生家跡に立つ。ここと養子に出された雨宝院の間を歩くと、幼い犀星が養家と実家を行き来した様がしのばれる。
(左中)西茶屋資料館。作家の島田清次郎が小説『地上』の舞台とした「吉米楼(よしよねろう)」跡に当時の造りを再現。2階は座敷などを開放する。
(右中)にし茶屋街の検番。稽古場でもある、芸妓の事務所のような場所。なお、にし茶屋街は金沢の三茶屋街でもっとも芸妓の数が多い。
(右端)室生犀星記念館。犀星の生家跡に立つ。ここと養子に出された雨宝院の間を歩くと、幼い犀星が養家と実家を行き来した様がしのばれる。
犀星は短歌、自由詩、小説などさまざまなジャンルで作品を残したが、通底しているのは弱き存在に対する共感、いつくしみ、温かい目、そして最終的には人生への賛歌だ。
みずみずしく美しい言葉と豊かな詩情は、不遇な出生と強烈なコンプレックスを荒々しくぶつけるのとは対極の作風である。しかし、切なさとやるせなさを温かい言葉でつづる彼の姿勢にこそ、深い傷と圧倒的な優しさを併せ持つ彼の心の複雑さを見てとることもできる。
犀星は、犀川のほとりや橋に立ち、川の流れと上流に連なる山を見るのが好きだったという。空は広く水は澄み、山は堂々と美しい。彼にとってこの風景が安らぎになったであろうことがしのばれる。
秋声と鏡花も浅野川に親しみながら育ったに違いない。鏡花は『義血侠血』などで、浅野川にかかる橋を度々、小説の舞台としている。
浅野川右岸には「秋声のみち」、左岸には「鏡花のみち」、犀川両岸には「犀星のみち」と呼ばれる川沿いの道がある。これらをたどり、金沢三文豪が幼き日に見た景色、そして悲しくもなつかしい故郷として終生抱え続けた景色を見て歩くと、金沢の街もまた違った印象で心に刻まれてくるだろう。
みずみずしく美しい言葉と豊かな詩情は、不遇な出生と強烈なコンプレックスを荒々しくぶつけるのとは対極の作風である。しかし、切なさとやるせなさを温かい言葉でつづる彼の姿勢にこそ、深い傷と圧倒的な優しさを併せ持つ彼の心の複雑さを見てとることもできる。
犀星は、犀川のほとりや橋に立ち、川の流れと上流に連なる山を見るのが好きだったという。空は広く水は澄み、山は堂々と美しい。彼にとってこの風景が安らぎになったであろうことがしのばれる。
秋声と鏡花も浅野川に親しみながら育ったに違いない。鏡花は『義血侠血』などで、浅野川にかかる橋を度々、小説の舞台としている。
浅野川右岸には「秋声のみち」、左岸には「鏡花のみち」、犀川両岸には「犀星のみち」と呼ばれる川沿いの道がある。これらをたどり、金沢三文豪が幼き日に見た景色、そして悲しくもなつかしい故郷として終生抱え続けた景色を見て歩くと、金沢の街もまた違った印象で心に刻まれてくるだろう。