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(左)主計町(かずえまち)茶屋街と隣の高台とのと間には階段がある。かつて茶屋街への行き帰りの客が顔を合わせないように階段を2本作った。この坂は作家の五木寛之が「あかり坂」と命名。
(右上)ひがし茶屋街の中央通り。ひがし茶屋街は金沢三茶屋街の中でもっとも大きく、現在は営業する茶屋は8軒、14名の芸妓(げいぎ)が活躍する。
(右下)懐華樓の座敷。懐華樓は、ひがし茶屋街で最大の広さを持つ。昼間は内部を見学者に開放し、夜は茶屋として営業している。
 秋声は随筆『思い出るまゝ』で、「私は幼い時分から孤独であつた。憂鬱の虫が身体中に巣くつてゐた」と記している。のちに自然主義文学の大家として名を成した秋声。やりきれない現実を扱いながら、ニヒルにも激情にも流されず、的確な言葉で淡々と描写する作風が特徴だ。劣等感に処するうちに身につけた、ある種諦観にもとづく人生観が、彼のこの作風を形作ったのだろう。
 鏡花は、加賀象嵌(ぞうがん)の彫金師の父親と能楽師の娘である母親の間に生まれた。生家は主計町茶屋街に隣接する高台にあり、小学生時代の鏡花は毎日階段を降り、遊郭街を通り抜けて学校に通っていたという。階段の上と下でがらりと変わる風景に、彼の感覚は大きく揺さぶられたに違いない。遊郭街の美しく艶やかな風景、享楽的でどこかやるせない雰囲気―彼の文学に特徴的な妖しく幻想的な美意識は、この頃見た光景が強くはたらいて出来上がった。また、10歳の時に母親を亡くした鏡花は、母の死にショックを受ける。母を失った衝撃、喪失感、愛惜の念は彼の人生と文学に影響を与えた。
 ちなみに秋声と鏡花は同じ小学校の1学年違い。当時は顔を知る程度だったがのちにともに尾崎紅葉に師事し、両者とも「紅門の四天王」に数えられるようになる。
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