いつも父や親父さんの目を感じて料理をしています。
樋口 樋口一人
店を持って10年になるが、樋口一人は「未だに若衆気質が抜けない」と言う。渋谷でカウンターの料理屋を営んでいた父親や、修業の店で世話になった親父さんら、今は亡き師が背後で自分の仕事をじっと見ているようで、いつも「怒られるんじゃないか」と緊張しているのだ。
「高校生の頃から否も応もなく店の手伝いをさせられて、卒業後に赤坂の茄子という料亭に修業に出されました。7、8年お世話になりましたね。途中で何度も辞めようと思ったのですが、その度に父の顔を潰しちゃいけないと思い直して。いずれ実家を継ぐんだろうなぁ、くらいに漠然と考えていたのですが、24の時に父が亡くなった。当時はまだ、ようやく料理がおもしろくなり始めた頃で、『何とか魚がおろせてたかな』というレベル。とても独り立ちはできませんでした。僕の時代には、買い物や寮の掃除、親父さんのお茶淹れ、ご飯の用意などに明け暮れ、包丁を持たせてもらえても山葵の掃除とか芋むきとか。そんな毎日を過ごすうちに、すぐに3年くらい経っちゃうんです。まさに往年のヒットドラマ『前略おふくろ様』の世界。それを当たり前として育ったことは、今にして思えば良かったなと感謝しています。実家の店では今、弟が焼肉店をやっています」
「高校生の頃から否も応もなく店の手伝いをさせられて、卒業後に赤坂の茄子という料亭に修業に出されました。7、8年お世話になりましたね。途中で何度も辞めようと思ったのですが、その度に父の顔を潰しちゃいけないと思い直して。いずれ実家を継ぐんだろうなぁ、くらいに漠然と考えていたのですが、24の時に父が亡くなった。当時はまだ、ようやく料理がおもしろくなり始めた頃で、『何とか魚がおろせてたかな』というレベル。とても独り立ちはできませんでした。僕の時代には、買い物や寮の掃除、親父さんのお茶淹れ、ご飯の用意などに明け暮れ、包丁を持たせてもらえても山葵の掃除とか芋むきとか。そんな毎日を過ごすうちに、すぐに3年くらい経っちゃうんです。まさに往年のヒットドラマ『前略おふくろ様』の世界。それを当たり前として育ったことは、今にして思えば良かったなと感謝しています。実家の店では今、弟が焼肉店をやっています」


(上)すっぽんの土瓶蒸し
土瓶をお椀にした風流な一品。すっぽんの身を包丁で叩き、骨をはずして、白玉にしているところがユニーク。「カウンターだからこそできる料理で、親方は寒い冬の日に最初にお出ししていました」と言うように、身も心もほっこり温まるよう。
(下)聖護院蕪と牡蠣の肌煮
柔らかな聖護院蕪と、殻からはがして炊いたふっくらした牡蠣、そして菊菜。上品な出汁とともに、春の陽だまりに包まれるような優しく淡い味わいを醸す。「牡蠣ではなく、蛤でお出しすることもあります」とのこと。
土瓶をお椀にした風流な一品。すっぽんの身を包丁で叩き、骨をはずして、白玉にしているところがユニーク。「カウンターだからこそできる料理で、親方は寒い冬の日に最初にお出ししていました」と言うように、身も心もほっこり温まるよう。
(下)聖護院蕪と牡蠣の肌煮
柔らかな聖護院蕪と、殻からはがして炊いたふっくらした牡蠣、そして菊菜。上品な出汁とともに、春の陽だまりに包まれるような優しく淡い味わいを醸す。「牡蠣ではなく、蛤でお出しすることもあります」とのこと。