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「当時は鯵と鯖の区別もつかない見識の低さ。労働というものもわかっていなかった。でも逆に、何も知らないから、辛い修業や日本料理界独特の慣わしにも、『これが当たり前なんだ』と受け止めて、がんばれたのかもしれません。それに、先輩たち
は厳しいけど優しかった。僕はノートに毎日の作業を記録していたんですが、寝てる間に間違いを赤ペンで直して『がんばれよ』と添え書きしてくれた先輩もいて、胸が詰まりました。駆け出しの頃にふぐ調理師免許を取って、みんなに喜んでもらえたのも嬉しかった。叔父や親方も含めて、お世話になった方々に報いたいという気持ちが強くありました」
 東京を楽しむ暇もなく、無我夢中で過ごした修業時代。「10年経ってようやく、料理を含め、自分のまわりが見えてきた」と言う石塚。「35歳までに店を持ちたい」という漠然とした思いが芽生えたのもこの頃である。そして一昨年5月の口明けの日、石塚は身を切られるような経験をした。家族で祝いに駆けつけてくれた方の一人が、余命幾ばくもない身。その日が家族にとって最後の晩餐だったのだ。そんなことは露知らず。彼は料理を出すことだけに必死だった。後で知った時の大きな悔いが、彼の料理哲学の核を成す。「一期一会」の縁への思い入れである。
「振り返れば、吸い寄せられるように料理の道を歩んでいました。離乳食がほぐした焼き魚だったこと、茶菓子目当てで祖母に茶道を習ったこと、書道に親しんだこと……無意識のうちに好奇心を持って経験したことのすべてが料理に収束したように思います。今後も一期一会の縁を大切に、お客様一人ひとりの心を感じながら、料理をつくっていきたい」――彼の一期一会へのこだわりは、「帰燕」という店の名に託した「お客様がまた来てくださる店にしたい」という思いに繋がっている。
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